・ホラー アクシデンタル 第6話「百年の孤独」についての記事です
・「私が思う話の内容」:話の真相、どのような意味が含まれているかを考えます
・「情想」:観ていて気づいたことや思ったことを話の流れに沿って書きます
テレビで見ました。今回からテレビで見れるのです。画質が良い。やはりテレビのほうが好きです。
あらすじは省きます。
主人公はおばあさん(金井)です。
私が思う話の内容
主人公が良かれと思ってやっていた節電、しかしその度が過ぎてしまった結果、火災を招いてしまった。
短くてすいません(汗
そのかわり情想は長いです。
情想
回覧板のボードに中町自治体と書いてある。
そんなことはないと思うけど、もし実名だとしたら、東京には東京都武蔵野市中町と東京都町田市中町がある。
町田市のほうの中町のほうが神奈川に近いからそっちだったらいいな。
靴が二足ある。どういう意味だろう。二つ考えてみた。
・主人公以外にも同居者がいる。しかし靴のサイズは同じのように見えるし、後の歯ブラシが一本しかない描写を見ても主人公が一人で暮らしている可能性が高い。
・二足とも主人公の靴だと考えた場合、左の靴は社会向き、右の靴は近所の散歩に使うような比較的ラフで家庭向き。
言い方悪いけど、おばあさんなのに若者ぶった機能重視ではなく外面重視の靴を履くところに、いまだに社会から良く見られたいという世俗的な承認欲求がうかがえる。
緊急連絡先に”隆史”と書いてある。息子かな。
ちなみに03-294-・・・・東京都目黒区中崎・・・・。中崎は架空の地名。
オレオレ詐欺に関する張り紙に神奈川県警察と書いてある。
となるとさきほど東京都の中で調べていた中町ではないのかorz
神奈川には神奈川県厚木市中町、神奈川県小田原市中町がみたところある。
でも緊急連絡先に書いてある中町医院は03局番なんだけどなあ。
えんぴつ立てがおしゃれ!
白電話と洗面所が映る引きのシーン、左上の文字はおそらく”洗面所”と書いてある。
歯ブラシは一本しかない。つまり主人公の一人暮らしだということを意味している。
手洗いうがいの張り紙とか爪ブラシもあって身だしなみや健康に気を使っている様子がうかがえる。
歯磨き粉はきちんとうしろから絞って、洗濯ばさみで止めるほどの徹底ぶり。
きれいなストライプのためにうしろから絞って使う歯磨き粉かw
遺影写真の男性は誰だろう。主人公に年齢が近そうだから夫かな。
「錆出院因果応報居士」
錆は訓読みで”さび”
因果応報とは、人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。原因によって生じた結果や報いのこと、という意。
居士[こじ]はいくつか意味があるみたい。
①仕官(役人になること)を求めず、寡欲(欲が少ないこと)にして徳を積み、富裕で、道を守りみずから悟ること。
②成人男子の戒名・法名の下につける称。
③家主。
毎日寝るにあたって服を畳むほどの几帳面な人がこの世にいるのか。
パソコンのキーボードには長らく使ってないのかそれとも埃避けか、布がかぶさってある。
几帳面だがこれについては私は人のこと言えないですね。私は毎回パソコン使い終わったあとにキーボードとディスプレイに布をかぶせますから。
パソコンの上の白い小さな物体が気になる。発泡スチロールが爆散した破片のような何か。
みつを「いいことはおかげさま わるいことは身から出たさび」
これについては最後のタイトルの意味を考えるときに書く。
冷蔵庫には、
①食生活の改善がにきびに効くという張り紙
②お薦めしたい食品などが書いてある張り紙
③七草粥の作り方の張り紙
が貼ってある。
鍋は弱火で煮込まれているけど、七草粥を作ろうとして出来上がる前に寝てしまったのか。お腹空いているのに寝るってあり得るの?
七草粥のレシピには「・・・ここでひと煮立ちしたら弱火にして大根、カブを入れます。他にもお好みの具材があればここで入れます。・・・」
レシピによれば、弱火にしたあと次にふたを開けるのは「大根やカブがやわらかくなった頃を見計らって」となんとも曖昧なレシピだが、そう書いてあるので、この間に寝てしまったのだろう。
ちなみに蛇足だがこのレシピ、材料欄には他お好みの具と書いてありながらつくり方のところでは「ダイコンは千切り、カブは薄切りにします。」とぬかしていて、いやお好みの具じゃないだろってツッコみたくなる。
ダイコンか大根、書き方も統一されていないし。
だめだ、こんなどうでもいいことも書いていたら終わりません!
家から上がる煙のCG感すごいな。
オムニバスが終わり、メインストーリーのあいちゃんが椅子に座るときの顔、なんかすごい魅力的に思う。なんだろう。この自然な感じがいい。ちょっと含み笑ってるような。
今回のクレジットのロケ協力のところに気になる名が。
「秦野フィルムコミッション」
調べてみると、以下はコピペだが、
フジテレビ深夜ドラマ「ホラーアクシデンタル」百年の孤独・悪徳の栄え
撮影日 平成24年12月26日
撮影場所 西田原民家、中央運動公園周辺道路、成田屋(鶴巻温泉駅)
放映日 平成25年1月17日予定
鶴巻温泉がロケ地として使われたのが第11話「悪徳の栄え」だから、西田原がこの話のロケ地だと推測すると西田原は神奈川県秦野市西田原で東京都町田市中町ではないということか。
私の推測、泡に消えたしorz
今回は主人公の几帳面でおひとよしで約やかゆえに、よく考えずにステレオタイプに依存したことで招いた悲劇であるが、その主人公の具体的なところを書いていきたいと思う。
ちなみにこれらの特徴はもちろん良いこととして認識されているし、私も悪いこととは思わない。だが善くも悪くもこのような悲劇を招いた事実がある。そしてその悲劇がこれらのことの積み重ねであり、お互いに関連していると思っている。
()内にはその特徴が主人公のどんな性格の傾向を意味しているのか、私見で憶測したものを書いていく。
表札を表明している(ソーシャル)
現代では、特に都会では個人情報がどうたらこうたらという理由で表札を掲げない家庭も多い。
「郵便屋さんいつも配達ありがとう」(利他、慈愛)
これは現実に見たことがない。「チラシお断り!!」ならあるけど。
利他心が高いことを意味している。そして高すぎるということも。
「東京都民生委員 児童委員、こども110番の家」のシール(社会におもねる・孤独・ミーハー)
回覧板のボードなど、自治体との関わりがある(ソーシャル・協働的)
社交的で、孤独とは正反対の描写にみえる。しかしはたして本当にそうであるのか。
靴をしっかり揃えている(几帳面)、外見重視の靴を履いている(社会的評価に対する欲求・ソーシャル・有機的でない)
ここでの有機的でないとは、見た目重視の上に成り立つ“生活機能を有さないさま”を意味している。このあとに出てくる”有機的でない”とは少し解釈が異なるが、その違いについてはそのときに書きます。
オレオレ詐欺の張り紙が張ってある(ミーハー・エモーショナル・読過傾向)
まず先に記銘される「オレオレ詐欺は悪いことだ。悪いことなんだよ」という意味ばかりを理解してしまって、含蓄を考えようとしない傾向がここに表れている。
というかまずこの張り紙の内容自体が高ステレオタイプであるのが問題だと思う。
えんぴつ立てがおしゃれ(おしゃれ)
手洗いうがいの張り紙がある(清潔志向・几帳面・フォーマル)
歯磨き粉を後からしぼっている(几帳面・フォーマル・清貧)
遺影写真(孤独)
これは特に孤独を有意に強調していると考えられる。
寝床のそばに服が畳んで置いてある(几帳面)
なんか作っている(自炊)
七草粥だと思われる。
火災報知機のコンセントが抜かれている(几帳面・フォーマル・有機的でない・読過傾向)
「こまめに節電しましょう」の張り紙と密接な関係がある。
歯磨き粉を後からしぼっている几帳面さと、手洗いうがいに回数を設けるフォーマルさがここでよく出ている。
さらに生活機能を有さないのも、靴の外見重視というのとは違うが、物の役割をよく考えないがために物が本来果たすことを妨げている、というところでは共通しているといえる。
もちろん妨げているのにも程度があるが、今回の場合は、完全に妨げているでしょう。
したがって、ここでの読過傾向は”有機的でない”を包摂する概念である。
「こまめに節電しましょう」の張り紙(ミーハー・利他・最も直接的な萌芽・読過傾向)
火災報知機のコンセントが抜かれているのと密接な関係がある。
オレオレ詐欺の張り紙のように、容易に影響されやすいところがよく出ている。
そしてこの張り紙に描かれている絵が火災報知機のコンセントを抜かせる一番の原因である。
しかしだからといってこの絵が全面的に悪いということではまったくない。ではなにが他に悪いというのか。それが主人公の読過傾向である。
利他が入るところには、自他も存在するのではないかという考えもあると思うが、まったくその通りだと思う。しかし今回の主人公の性向から考えて、自他という言葉は入れなかった。
何かを考えているときは、何かを忘れているもので、それと同じように何かに執着しすぎると物事を公正に見ることができなくなる。その何かがたとえどんな行いであっても。
これが私の思ったこと。
もう一つ、思ったことがある。それを下の「タイトルの意味」に書くことにします。
タイトルの意味
今回のタイトルは、「百年の孤独」。意味を考えてみよう。
みつをの「いいことはおかげさま わるいことは身から出たさび」からアプローチをかけていこうと思う。
おかげさまとは、他人から受けた助力や親切に対して感謝の意をこめていう語。
つまり、いいことは相手のおかげだと思って感謝しなさい、わるいことは相手のせいにするのではなく自分のせいにしなさい。といった感じの意味だと思う。
格率的な認知として言うならば、
いいことは、節電、清貧(自炊なども含む)、ミーハー、アカデミック。
わるいことは、ない。
これは三木先生が言っている”世間一般認識”のことだと私が勝手に解釈しているもので、
それによると主人公は世間的にはわるいと思われることを何もしていない。
だって主人公はミーハーで、自分より他人を重んじ、自分の生活を質素にしてまでも堅実に社会貢献をしている善良な市民だからだ。少なくともそのような描写は実に多くみられる。
では三木先生が啓発する別の主張とはなにか。
それは、いいこともわるいことも行き過ぎればそのなにものでもなくなってしまう、ということだと思う。
つまりあくまで中庸を説いている。
だから、いいこととわるいことの区別はなくて、常にどっちにもなりえてしまう。そして啓発の事柄を明らかにするべきだと思うのだ。
今回でいうどっちにもなりえてしまうこととは、節電、ミーハー、アカデミック、利他心、そして何より”エモーショナル”と”ステレオタイプ”の要素である。
几帳面や清貧なこと、ソーシャル、協働的といったことは例外だと思う。
ただし、自分の判断ではないことを自分の判断だと思い込んでしまう無意識の社会的証明や、ステレオタイプにより依存しやすくなってしまうことを”わるいこと”とあなたが思うなら、ソーシャルや協働的といった要素も例外であるだろうか。
そして啓発の事柄とは、あなたが思う悪とはどの概念に付加しているものか、ということと、中庸であることが一番ということ。
これが示していることの意味は私もなかなか気がつかなかった。
節電がいいとかわるいことだとかではない。
“行き過ぎた”という属性が付加して”悪く”なるのであって、節電に善悪を付けるにはもっと節電そのものについて考える必要がある。
この考えを元にみつをの「いいことはおかげさま わるいことは身から出たさび」を解釈すると、
事柄にはいいこととわるいことの区別はない。
→「いいこともわるいこともおかげさまであり身から出たさび」
ただし、元はいいこととわるいことの区別はないが、属性が付加することによっていいこととわるいことが出来る。つまり区別ができるようになって、その上でこの詩を言うのであれば、
属性によっていちいち事柄が左右されるほどの不正確さがあるにもかかわらず、その事柄を命題に仕立てるなあなあな詩になってしまうのではないか。
そういうことを三木先生は啓発したかったのか、それとも私の単なる狂言に過ぎないかですけど。
もう一つ、気になることがある。
特にこの「わるいことは身から出たさび」についてだが、
物事がうまくいかなかった要因は自分の内部にあり、改善可能だという内部要因思考を言っていると思うが、結果的に火災になってしまった原因は節電なのか不注意なのか、はたまた自炊やステレオタイプを引き起こす読過傾向なのか。
原因が分からないのはさておき、火災を引き起こしたのは主人公のせいだ。
主人公が存在しなければ火災が起きることは100%あり得ないからそうであるといえる。
しかしほんとうに火災が起きたのは身から出たさびなのか。
コンセントを引き抜いたのは誰かではなくどうしてか。節電を促したのは誰だ。
主人公のこの年で自助自立させているのははたして利口なことなのか。
そう考えると、社会貢献している主人公が社会によって潰されるさまは、すごい孤独だと思う。(⇒百年の孤独)
主人公は社会に対してこの年になってもまだ貢献を続けているのに、社会は主人公に対して主人公の何を満たしているというのか。
最初はタイトルの意味が分からなかったけど、ようやく自分の考えをまとめることができた。
すなわち、「百年の孤独」の百年とは、“とても大きな”という程度を表している。
ではなぜ大きいのか。それは社会貢献に対して心理的・金銭的報酬が足りないからです。
孤独は主人公の終末の物理的・精神的状況を憂いているのか、現代社会の気配りのなさを皮肉っているのか、しかしそんなことはどうでもいい。
「年をとればとるほど、人は何もできなくなっていくのだから、支えが必要である」
この”何も”とは物理的なことだけではなくて精神的なことも、つまり全てにおいて支えが必要という意味である。
これが私が言いたかったこと。そして私が解釈するタイトルの意味である。
あとこれも言いたい。
一番の被害者は犬。