● 2 推定16才

●2 2009年の明治安田生命の手帳(深緑の)推定16才

・なぜだ。なぜそう思う。その理由が本心だと分かった時、AかBかCか判断できる。親密によく話し合う。もちろんその話題で。軽く話しただけで決めない。それは自分を見たら分かる。自分はこんな奴で、でも人から見たらおかしいか普通の人だとかん違いされる。もし、判断するならじっくりと正確に、ただ時間は関係ない。一つの答えに色々な可能性を考えてその後で「なぜそう思う」と聞く。それからその人の現状は判断要素に入れない。例えば学校行ってるからだとか。なぜなら未来があって可能性があるから。少し自分の世界を話してこれはもうダメだや少しは分かってくれるで判断すればいい。それからもう一つ、話している時の状況も判断要素の一つだ。失恋したと告げてから話すと相手は自分をいたわってある程度大目にそしてやさしく話をきいてくれる。逆に相手が何らかの理由で状況を変化させてしまう感情が介入してるときに話しても同じことだ。これをさけるため、確実に正確に判断するためには、何回かに分けてその度のデータを元に平均性に従ってすればいい

・「急に消えたテレビのリモコンくらい見つかりにくいな」

・「ところであなた方(君)は釣りはやるのか?・・・エサは必ず犠牲になる」

・五行くらい長いメールを打ってる時に、サ行の文字を打とうとして間違って上の電源ボタンを押して全てパーになったときくらいヘコむな

★・自分の人生だ。自分のために生きなくてどうする

・「けんかはよくない。だが戦いには勝て。だから戦うために練習するのではなく、戦いに勝つために練習するのだ。なぜかって? けんかをすれば必ず誰かが悲しむことになるからだ」<なにかの映画>

・「あぁ、キミはなんて美しい人だ。どうしたらいいんだ。とりあえず明日から水泳でも始めなくちゃ。君の瞳におぼれちゃいそうだからね」

・「結婚したいのならまず相手の両親に受け入れられることだ。家族としてね。責任と名誉と、愛をもって・・・」

・オートガミー=ゾウリムシの特性で、一人セックス

・夢をもつ者にとって、外部からの強制は、夢を持たない者より大きな圧力だと感じられるだろう。特に自由を愛する人だったならなおさらだ

・いつまでも判断が下せないでぐずぐずしてる人をばかな奴だと簡単に決めつけてはいけない。要領の悪い人の中には、本当に要領が悪くてばかな奴もいるが、思慮深い人もいる。思慮深い人は、状況判断を何通りも考えられる時に判断が遅くなる場合もあるのに、単純な人にとってはそれが「ぐず」にうつる場合もある。逆に要領のいい人の中には、思考が単純なために判断に迷いがない人もいる。優柔不断だとか、すぐに判断が下せないから「悪」であるわけではないし、すぐに判断が下せるから「善」だといえるわけではないんだ。人を判断することは、そう簡単には決めつけられないんだ

・金は人間を不平等にする。金持ちのささいなむだ金を難民に分けたらどうか

・あいまいな気持ちだと物事を公平に、そして客観的に見やすくなる。逆に一つに固執したままだと、よほど訓練してないかぎりはどうしても偏見が生まれてしまう。自分でも気づかないうちに。だから、むしろそうなってしまうと常に考えを念頭に置いといたうえで、積極的に取り組んでいくようにすることが大切だ

・本は変形しない棒だ。本を読む前に自らの型が決していたら、本は単に納得できないまま強引に相手の言い分を聞くことしかできないものとなる。本には質問できない。ただ、本にはその著者の言いたい事が整った文章で全て表されている。自分の型が決まってなかったり、著者を尊敬しているのなら、その人にとっては役に立つものとなるはずだ。もちろん、持論と比較したい人にもね。でも大抵はやっぱり相手と直接話すのが一番だ。なぜなら、直感で素直な疑いを交えながら話し合えるからだ。疑問は解できるなら早くしたほうがいい。それに、直感の疑問は後の議論でいい影響になる

・世間でいう先入観とは、やる前から固定概念が入っていて、偏見を持ったまま経験すること、またはその性格のことをいうらしい。僕のいう先入観とはそういう意味ではない。物事を始める前にまず結果を考えるように考える。どのようなことが起こりそうで、その結果はどんなふうになるのか考えるんだ。そして実際の結果と比較して考える。やがて、自分が分かってくるはずだ。つまり、一つ一つの物事についてよく考えるように、ということだ。上の文から、堅苦しく感じるかもしれないが、そうじゃない。それよりもっと、本能的で、直感的で、シャープで、そして確実なものだ

・思考力をそだてるには二つの考え方(やり方)がある。一つは、分からないものを分かろうとする好奇心だ。何でもいい。宇宙のしくみとか、自分の生き方とか、恐竜についてでもいい。あらゆる物事に対して抱く好奇心が自らの思考力を養うようになる。アインシュタインはこの例だ。もう一つは存在するもの(あり方)の意味を考えて批評することだ。その場合、他人の意見がある。全ての意見に耳を傾け、自分の意見と比較する。物事の意味を深く考えることができ、同時に人も判断できる。この考えにおいては、先入観という性格はさらに思考力を育てる上で重要な要素となるはずだ。そしてこれは僕の例だ。時には休むことも大事だ。もちろんずっと考えてたら脳がもたないからね。それに、ひらめきが生まれないかもしれない。遊ぶときは思いきり遊んではめを外すんだ。それが脳にとっての―――そして僕の思う休憩だ。脳も気分と同じで考えたくないときだってある。そういう場合は無理に考えようと脳にはたらきかけるわけでもない。メモでもしておいて、また気分がいい時に考えればいい。考えたくない時や、考えても何か違和感を感じたときは、脳を洗うんだ。ぼーっとしたり―――遊んだり、別の事を考えたり、どうでもいいことを考えたり―――考えよう。考えれば考えるほど、次はもっと深く考えるようになるはずだ

・人が変わる要素の中で、外部からの影響には、環境と思い込みがある。環境が違えばたとえおなじ人でも結果は違ってくる。思い込みは、内部(自分)もあるが、ここで言う思い込みは、周りの人間に影響されることによる思い込みのことだ。ここには危ないものは何もないと先入観を持っていれば堂々としながら入れるように―――ただ、この環境と思い込みの違いは、現実と仮想だ。もちろん現実(環境)は絶対だ。この環境である限り、ここまでしか考えることができないと思う。ただその限度を知らないだけで、結果最後まで考えたところが限度だと認識するんだろう。幸せな認識だ。思い込みとは、擬似環境だ。現実に最も近い仮想を形成することのできる代物だ。その作用は環境がもたらすものとほとんど変わらない。ただやはり現実ではないから、人の性格によって個人差がある。自発の思い込みは不可能に近い。なぜなら自分が思い込もうとすることが分かっているから、どうしても雑念が入ってしまうからだ。やっぱり気づかないままが本当の思い込みだと思うんだ

・「道をたどり、師をあおげ。師にしたがえ、師とともに歩け。師を見通せ。師となれ」
本気で従って学ぶが、終始本心でない。服従の意志を持つ。しかし、師への感謝は忘れない

・「自由は善」<How To Become A Hacker[ハッカーになろう]>
自分は反権威主義者であらなければならない。そして権威主義者とは戦わなければならない。でなければ、自分が窒息させられてしまう。本能的に敵意を感じるのだ

・一生懸命やってると、できなかったとき、何でできなかったのかを考えるのに一生懸命やってないから、という言い訳ができる

・英語をマスターするのは難しい。やるモチベーションとして、自分の部屋から日本語をなくしてみたいとは思わないか? 英語が分からない人にとっては、自分の重要情報なども暗号で分からなくなる

・「本当に見事だと思わないか? この完成美と、独創性には、舌を巻くよ」<エージェント・スミス[マトリックス]>

・「事実を切り取る(伝える)ためには、つねに主観が必要である」

・「~がもたらす利点と限界を冷静に把握」

・他人をだますということは自分をだますということである

・明日は味方

・記録より記憶、記憶より記録。どっち?

・面倒くさい名称をつけるなよ

・褒めるのはあきらめること

・期待に背けば自由が近づく

・「不来方[こずかた]の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」<石川啄木>

・うわさに決まってる

★・これからしっかり自分に起こった事、考えたことを紙にまとめていくこと(書いていくこと)

・他人や大人は絶対に信用してはならない。うわべではやさしく気づかってくれるのは裏では結局自分の利益になることだけしか考えていないのだ。本当に信用できる友人(親友)を見つけるにはその人と長い時間付き合ってから分かるものだ。友人,友達もちゃんと見分けなければならない

・勝負に情けはないのか

・飯を食わないで(空腹)車に乗ると気持ち悪くなる

・科学の進歩で唯一良かったことは、人間以外の生物の生態系を見られるようになったこと

・絶望っていうのはすごいものだ。絶望を味わうと誰もが「最高だ!クソ!」と叫びたくなる。そしてその後、死にたいと思う。僕の世界は終わりだと。絶望は悲しみを忘れさせ、怒りを生む。だが、あまりの絶望は怒りをも忘れさせ、喜びを生みだす。やがて人は別のことでとても忙しくなる。もし絶望の前に愛があったとしたら、悲しみと共に色あせていき、今度はより刺激的なものにすり替わる。絶望が大きければ大きかったほど、すり替わる喜びは大きい。その喜びは絶望を味わった世界のものではなく、別の世界で味わう喜びだ。同じ世界なら単なる思い込みでしかない。だから、今までより、新鮮で、大きく、そして刺激的だ。そうして毎日がすごく楽しくなる。今までの自分は孤独で、ひとりで絶望を味わってきた。長く独りでいるとさびしさを感じなくなる。絶望はさびしさも忘れさせてくれる。もう戻る理由もない。新しいプレイヤー(世界)を見つけた。新しい自分も
※ところどころ引用あり<なにかの映画>

・「楽園が楽園であることの代償は大きい。楽園に悲しみが存在してはいけない。楽しさだけが存在していなくては・・・。そして楽しさを忘れさせる悲しみには目をつぶる。もし目をあけて見たとき、そこは楽園ではなくなる。楽園は信じてる。でも探し求める場所じゃない。実際に行くより、大切な瞬間に心で感じる場所だから。その瞬間を見つけたら、それは永遠に残る」<なにかの映画>

・生まれてくる子どもは親を選ぶことなんかできない

★・「トーマス・エジソンは、白熱電気を開発するまでに、タールをぬったもめんをフィラメントにしておよそ2000回も失敗した。エジソンは失敗とは言わず、2000通りの実験の積み重ねがついに一つの成功を生んだと言った」

・常識,当たり前とは何なのか? 常識とは、多くの意見(世間の意見)である。しかし、多いからといって正しいわけじゃない。なんでも常識常識言ってるやつはばかだ。当たり前とは、自分の意見(1つの意見)である。常識は多い意見から成り立つわけだから、常に誰から見ても客観的な意見だ。しかし、当たり前というのは自らの中でこれが正しい又は常識だと思い込んでいるだけで、そこには感情的な介入も存在する。自分の意見、つまり主観的な意見である。だからといって正しいか間違いかは別だ。問題なのは当たり前をあたかも世間の意見(常識)だとかん違いしている人がいるということだ。又、自分の意見(当たり前)が正しいと思い込んでる人もいる。もっともたちが悪いのは、自分の意見を常識だと思ってる人たちだ。バカ極まりない。常識だって正しくないのだから、わざわざ自分の意見を正当化しようとしなくていい。自分の意見は自分にさえ通じてればいいのだ

・「未来とは、人の世の望みだ」<映画「戦国自衛隊」>
考え1つでどうとでもなる。無限の可能性がある。それが未来だ

・「誰かに夢中になると、相手が運命の人である理由を見つけだす。どんな理由でもいい。夜空を撮る趣味がすばらしいとか・・・。相手が運命の人なら、理由なんてあとでいくらでもついてくる。でも、やがて、それがイラつく習慣に思え、別れの時が来る。でも恋に夢中な間は、何年も探し求めていたように感じるんだ。そして何年も続くと思い込む。恋はいつだって僕をだますんだ」<なにかの映画>

・犬と人間どっちがすごいか。犬は人間の言葉が分かる

・「突然失礼だけど、キミのパパは泥棒かい?」・・・「空から星を盗んで、キミの瞳に隠してる!」<なにかの映画>

・今までやってきたことが、気持ちの違いで急にぱったりできなくなるときがある。そんなときはできるようにやって、やって、やりまくることだ。それでもできなかったら、まったくやらないことにする。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、そのことを忘れるようにしばらくほかのことをやる。そしてそのうち、やりたくなってくる。そのときには気持ちもやりたいことに集中しているだろう

★・「ささやかな幸せこそ、人生を豊かにする」<なにかの映画>

・「この人生にかんぱいしよう!一つの人生として・・・

友達[フレンズ] 友達がいて
家族[ファミリー] 家族がいて
運命[フェイト] そこに導いてくれた運命
寛容[フォギプネス] みんなが大きな心で互いを受け入れる
永遠[フォエバー] それは永遠に 」<なにかの映画>

・思わぬ発見=セレンティビティ

・人と変わったこともする。しなくてもいいけど、だけど人生つまらない

・本当の深い話は万人に共感されないものである。万人受けしない。でも話の中には深くないものもあるから、実は紙一重

・好みは無数の嫌悪からできている

・自由とは何? 何か分からないが、1つだけ確実に分かることがある。それは、「自由」とは他のもの(人やそれ以外のもの、つまり自分以外の全ての)に定められるものではなく、「自らの自由」は自分でしか定められないものである。ただ、いくら自分しか分からないものだとはいえ、分かろうとしなければ、分かるものではない。「自由」が定められるには自らのもつ力「自由な精神」がなければダメである。つまり、自由な精神がなければ自由は確立できないということである。自由な精神というのは、自らの自由がそれまで得られていなかったとしても得られるものであり、それ故自由な精神というのは自由を求める気持ちのこともいうのである。従って、自由な精神がなければ自由は確立できない、は先ほど述べたが、自由が確立されていなければ自由な精神は得られない、というのは間違った考えである。A=Bが成り立ったからといってB=Aが成立するとは限らないのである(数学・科学と違う所)。自由とは何か、の答えを出すことができるのは自分だけである

・美にまどわされるな。なぜなら、美は長続きしないからだ

・人類の進化論について。誰かがある偉大な人の知識を吸収してさらに偉大になる。すると、次世代の人がその人の知識を吸収してさらに偉大になる。この繰り返しで進化してく

・互いに考えが合わない、根本的に考え方が違う、そんな人は友達ではない、という考えは間違っている。むしろ逆に考えが合わない人とのほうが友達としてやっていくほうがいいかもしれない。いつも考えが合わず、反発しているような仲。時にはうざいと思うこともあるはずである。でも、よく考えてみると、その人を話し合う、一緒にいることで自分が今まで想像もつかなかったことが、耳の中に入ってくるかもしれない。他の人の(自分以外の)世界をのぞけることはすばらしいことである。このようなことが今後の糧となってより一層自分の世界にみがきをかけることになるのである。それに加えて本当の友達というのは、いつか自分が悲しい出来事があった時に本当に一緒に泣いてくれる友達である

・自分も他人も、どんな人間でもどんな意思でもどうしたってもいい。それが、個性である。個性はどんなものでも尊重の対象となる。しかし、例外が1つだけある。他人を不幸にするような(人を殺すことなど)行為は何があっても絶対にしてはならない。また、そのような事をする人は、それこそ最低の人間である。どんな理由があったとしても

・まずい食べ物を「まずい」といえない状況で「おいしいです」と言えばうそになるから、「好きな人にはたまりませんねぇ」と言えばよい

・本当に逢いたい人とは、「地球で一番逢いたい人」ではなく、「宇宙で一番逢いたい人」のことである

・優柔不断ではダメだ。男としてかっこわるい。そして答えははっきりとさせること

・「エジソンは電灯をつける前~したか?」<なにかの映画>

・「僕の大好きな君が決めたことだから・・・」

・「おまけにせっけんをつけてやれ」<映画「スパイダーマン」>

・(図あり)。下者から見ればモデルという地位が目標となって、下者に勇気や楽しみが発生する可能性がある。しかし、逆に怒りや葛藤を覚える人もいるだろう。つまり、どんな物でも見方を変えれば、どんな意見も生まれる(ある)ものだ。だから、意見が全て同じものなど存在しない。つまり、他人がいいと言ったって自分がいいと思うとは限らないし、また合わせることもしなくていい。ものには色々な見方があっていいのである

・失敗を恐れるな

・何事にも例外というものがある。「~は~である」という命題が、人はつけてはいけないとされるのはこのためである。いくら自分の中で「こうだ」と決めていても、その例が実際に起こった時に、「こうだ」と決めたからと分かっている上に、その時何も考えずに思考を終了してはいけない。何事にも例外があることを承知した上で一応じっくり考えなければならない。そして、この心をこれからも忘れないようにしておくことが大切である

・時間のない時の熟考はアダだ。時間は待ってくれない。時間のない時かつ考えなければいけない時は、直感かアダとならない思考をすればよい。時と場合によっては「考える」こともいけないことがある。全てが全て考える事が善とは限らないのである。そんな時は少数だけど

・憶測での物言いは厳に慎むべきである。なぜなら、確たる証拠もないくせに人を決め付ける・判断するのは善人がすることではないからである。その人を傷付かせるだけでなく、第三者から見れば自分に対する評価もかんばしくないことになるはずである。結局それは自己利益のために行動するような人だと思われてしまうかもしれない。決して、人のためでも自分のためでも良い事にはならないのである。言葉は大事ではないかもしれないが、言葉によって相手をけなすのはいけない。憶測ではなく、はっきりした上で又効果的に使うように心がけること

・「この時計で2人の時間を刻もう」

・「好きじゃない。愛してるんだ」

・周囲に何を言われようとも、自分の意志を持って行動すればいい。たとえそれで結果が伴わなかったとしてもである。大事なのは周囲からの批評でも結果でもない。意志をもちそれに従うことである。従うという言い方はおかしい。もちろん自分の意志である。まったく周囲に耳を貸さないということではない。他人の意見を聞くというのは大事(その人の人間性を知ることができる)であるから、もちろんしっかり聞かなければいけない。言いたいことは、聞くことと納得(それに従うこと)することは別物であるということである。最終的に決めるのは自分で、行動するのも自分で、責任を負うのも自分である。まず意志をもつことから心がけ、そしてその意志を尊重していけばいい。結果は大事ではない

・自転車は、カギと名前と電話番号と防犯登録と車体番号とメーカーを控えとく。盗まれたときは、その日の内に警察に行く

・相手の気持ちを理解するには相手の立場に立つ。(例:自転車盗まれた)

SE・自分勝手な人間は善人ではない。自分勝手な考えと行動がどれだけ他人を傷つかせることか。こう思ったわけは、父を見て感じたことだ。僕は今高校二年生で夏である。近くのココストアでバイトしながら、時間のある時は映画を見ている。ケータイでんわを一年前からほしいと親に言ってて、買ってくれない理由はやるべきことをやらないから。やるべきこととは妹と弟の面倒を見る、お皿洗い、早く寝て早く起きるだと思う。夏休みに入る一ヶ月前ぐらいからやるべき事を自分が思うには今までよりやってきたつもりだ。親(母)はもうちょっとやるべき事をやってといったが、ケータイはかってもいいといった。でも買うには父がいないと買えない(名義を父にするから)。父はいそがしい(仕事で)。今日は金曜日で明日はどうときいたらダメ。来週の土曜はと言ったらどっちでもいい。決めるならいくと言った。でも今まで一度も約束を守ったことがない。理由は全て、仕事がいそがしいから。息子の事よりも仕事のほうが大事なのか。話し合おうとすると時間がなくてなかなか話せない。結局父の都合によって僕のことは全て後回し。それで思った。自分勝手な父みたいな人間には絶対にならないと。相手の気も知らないで、ただ自分がいそがしいからを理由にして買いたいものを買わせない。父は何とも思ってないかもしれないが傷ついてるのは僕だけだ。僕だけいやな思いをしてる。悲しくなってる。自分勝手な人間には絶対になってはいけない。もし、僕が大人になったとき、子どもや友達や他人に対して自分勝手な行動はとりたくない。もし、相手が不愉快になったり、怒ったりした時は必ず話し合う。相手が話したいと言ったときは必ず、いそがしいとかゆう言い訳は使わないで、その人とてってい的に話し合う。「何で」という疑問は大切である。自分の世界観を広げるために相手話し合う。「何で」という疑問をてってい的に議論し、お互いを理解し、そして維持する(全てを納得するかどうかは別)。もっといいのは、相手と一緒に世界観を語り、そして作っていくことである。僕は今もそんなことができる人を探している。そしてこれからも。見つけることはとても難しい。おそらく見つからないかもしれない。でも、もし見つけた時は、その時は世界が変わるだろう。その時がくるまでは、自分を成長させていかなければならない。自分勝手なことはせず、相手とたくさんぎろんして、世界観を広げていきたい。 2009(H21)年7月31日(金)1:41:52

・怒る時、本気なら短くキツく、長いのは自己満足にすぎない

・脳が2つあれば賢くなる? 手術で2つの頭(脳)を切り離す例があった

・考えてる9割のことはメモれるが1割はできない。心で感じ、それを忘れないように体にしみ込ませる能力がいる

・人はどちらにつくかで見方が変わる。届かないボールに手をのばしたけどダメだったのと追いかけなかったのではちがう(可能性はゼロ)。~かもしれない

●2●アインシュタイン(2のうしろのほうに書いてある)●

・今までの常識にとらわれない。それはまちがっているかもしれない、と、自分で一から考えていくのが大事

・「想像力は知識よりも大切です。知識は限られています。想像力はこの世界を包み込みます」<アルベルト・アインシュタイン>
想像力は知識に勝る。既存の知識を乗りこえる想像力こそがすばらしい

★16才★・「事実を学ぶことは重要ではなく、事実(教科書)からは学べないことを考えるように頭をきたえることが重要」<アルベルト・アインシュタイン>

・「事実はあらゆるひとがどんなかんがえかたをしようとも事実である」<アルベルト・アインシュタイン>

・常識をきらい権威をきらい、自由と孤独を愛した

・「他人の行為については、十分な情報を手に入れてから意見を述べるよう努力すべきだ」<アルベルト・アインシュタイン>

・「真理を得ようとする努力は、真理を確実に手にしていることより尊い」<アルベルト・アインシュタイン>

●2●アインシュタイン(2のうしろのほうに書いてある)の後●

・「生物は進化の過程で個体という機能体を作り、短い寿命と引き換えに極めて複雑で高度なシステムを作り上げた」

・環境は良い方がいいのか悪い方がいいのか? 考える時間が多いか少ないかでもある

・ゾウリムシはエサが充分にあると300回分裂して死ぬが、きが状態になるとオートガミーを行い再び300回分裂できるようになる。これについてエサがないのに仲間を増やしたら結局皆死んでしまう。エサがあるときにオートガミーをすれば子孫をたくさん残すことができる。そしてそれは適応的だ。分裂限界が来る前にオートガミーを行えば無限に生きられる。それに対してアメーバはエサがある時は無限に分裂を続けるが、きが状態になると寿命を持つ細胞が現われる。エサがないのに分裂すると死ぬから、この性質は適応的だと言える。ただゾウリムシはきがのときに分裂して全員死んでしまうわけではないらしい。もんだいは寿命(300回尽きる)が来る前にオートガミーをして回復するのが目的で、エサがあるときにやろうがきがのときにやろうがどっちでもいいらしい

・本は嫌いなのか? 人に直接聞いたほうがすぐに思いついたこと・疑問が解決できる。本は一方的に考えを押し付けられている感じがする

・生きるために死ななければならない=アポトーシス。アポトーシスとは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死。人間が高等生物であるためには、危険な細胞や疑わしい細胞はアポトーシス(自殺命令)しなくてはほかの細胞に影響をあたえて(がんなど)個体が死んでしまう。我々人間は死のプログラム(アポトーシス)を細胞に組み込まれていることによって生を可能にした生物である

・いちばん体に悪いのは生きていることだ。正常に生き続けることこそが老化の原因である。少なくとも今は・・・

・「今後(近未来)ほとんど不老不死が実現した時、人々は生きる意味を考えるだろう。何もあせる必要などない。そして思う。『昔の人は楽しかっただろうな。時間に制限があって』」<アインシュタインについて書かれたなにかの本>
だがもしアインシュタインのような天才が不老不死の時代に生まれたら、喜んでその時間を科学や何かにあてるだろう。そう、天才がずっと生きるのだ。そこで自分は、時間に制限があるこの時代と、平和でじゃまするものが何もない不老不死の時代とどっちを望む?

・「無」と「無限」は本当にこの世に存在しないのか? 例えば不老不死は無限だ。そしてがん細胞は不死らしい。個体ではどうか?

・真実より遠いものはない。それこそ無限かもしれない

・人間の欲はとどまることを知らない。この先いくら科学が生活を便利なものにしようと

・常識にとらわれないで物事を見るのは大事だ。しかし、ただ常識だから真似しないというのではない。常識と向き合い、考え、みすえ、その上で常識が常識と呼ばれるゆえんを考えるのだ。常になぜという疑問を持ち、子供の頃の発見と驚きを忘れず、物事を批判的にとらえることが大事だ。革命を起こすには常識から学び、1人1人の考えを尊重してそれに耳を傾け、自らの信念に基づいて考えることが大切だ

・権威を否定しただけでは何も起こらない。否定した上で、では何が正しいのか、つまりこれにかわる新しいものを考え出さなければならない。それを生み出すことのできない人間は、結局は権威に頼らざるを得ないのだ

・マーベリック(一匹狼)という。権威を嫌い距離を置く生き方またはその人。こっちの世界(社会と逆の世界)

★・「エルンスト・マッハは、当時の物理学で絶対的理論で物理学の基礎となっていたニュートンの理論を根底から見直して結果ニュートン力学の間違いを証明した。基本概念および基礎法則に対する批判的態度をとるマッハの精神は見習うべきである。最初の前提が誤りだったとしたら、そこから導き出される解答は正しくない。物事を変えるにはまず物事に対する思考つまり物事を批判することから全てが始まるのだ。アインシュタインもこの精神を見習い相対性理論を作った」

・頭のいい人と天才の違いとは? 頭のいい人は矛盾やほころびを器用に繕って辻褄を合わせようとする。問題を先延ばしにする無難なやり方だ。だが矛盾やほころびが生じているという現実は何も変わらない。例えば金目的のためだけだとか、その物事に対して自らの信念を全くいだいていない。頭のいい人は金や名誉のために働く。天才や革命家は違う。権威にとらわれず、ただその物事の真理を解き明かしたいという純粋な気持ちから問題に迫ろうとするのだ

・想像力が大事だ。何もしていない時に脳は何かをする(デフォルト・モード・ネットワーク活動)

・細かいことをやっていくより、前提自体を問い直すことに一番の価値がある。それは功名心のためでも、功利心のためでもなく、真理の追究のためである

・(図あり)。今の自分の全ての精神(考えなど)を1つの種類と置くと、ちがう種類はたくさんあり、それらは優劣で決められるものではない。そしてこの種類群は1つの種類に分類され、それさえもまた1つにまとめられる。このようなタテ構造を上へとつき破る精神を手に入れたいと考えている

・私の脳は何かを考えてそれをメモれる間にまた別の事を考えて、1つを書き終わる間にまた別の事を考えてしまうのだ。そしてそれは段階的に深さ(物事)を高めていくのである。だから、私が覚えてメモしているものはせいぜい1つ目か2つ目か3つ目あたりで、低尚な事ばかりなのだ。そして残念なことに私はどんな高尚な考えも時間によって消されてしまうのだ。無論、全部メモして覚えようと努力はするのだが、奇跡的にその時間との戦いに勝利したときは、私の脳はどうなっているのか想像することができるものだ。時間は神だ。普通ならそこから逃れることはできない。そして、時間という概念に振り回される人間はおろかである。[茨城のとある書店にてアインシュタインの伝記を座り読みしていた時より]
【当時16歳の私が手帳とペンを持って取り急ぎこの一文を書きとめた場面はずっと記憶に残っている。思春期の多感な時期、このとき私はアインシュタインの伝記を書店で座り読みしていたのだが、一つ考え事を始めたとたんに滔々と溢れ出すいくつもの由無し事に自分自身びっくりしながら筆をとったことを今でも鮮明に憶えている。まさに人生のターニングポイントで、私が「思考」の世界に目覚めるきっかけとなる出来事だった。私はこのときの事は一生忘れられないだろう。<23才・夏>】

・脳の奥深くの倉庫に押し込まれる

・ペンを握った瞬間、そのもろくて高尚な考え(ひらめき)は時間という大敵によって消される運命にある。それは私がこれを防ぐいかなる能力を持とうとしても変えることはできないだろう。いくら書くのが早くても、記憶力が良くてもね。だが、このような事を考え終わって、または無理やり断って顔を上げると、この現実世界が新しく更新されたページのように新鮮で新しいものに見えるようになる。そして私自身その世界を純粋な気持ちで見ることにより、新たな疑問が脳を揺さぶり、それに対応していろいろな考えやひらめきが次から次へと脳をかけ回る。私の脳はもがきながら早くメモを取れと命令してくる。なすがままにメモを取り始めた私に再び同じことが起き、そしてそれをいつまでも続くループだと教えるものは何もないのである。何かを発見し、それに驚き感動し成長する。そして何かを得るのである。人がこれによって成熟してくると、いつしか物事に対して疑問をいだくようになりそれに伴って考えを持つようになる。さらに人が成熟するといつしか人は疑問をいだくのを忘れ、新たな考えも生まれてこなくなる。今まで生み出してきた既存の考えや知識に頼って過ごすようになる。今の世界が既知のものに思え、驚きや感動を忘れてしまうのだ。それが大人だ。まさに堕落である。もはや生きている価値さえ見失い、その日その日をただ生きる石像のように人間としての成長が止まっているものだ。もちろん例外はあるが・・・。大人になるにつれて感動で涙が流れるくらいの人に成長するくらいでなければ。[茨城のとある書店にてアインシュタインの伝記を座り読みしていた時より]
【当時16歳の私が手帳とペンを持って取り急ぎこの一文を書きとめた場面はずっと記憶に残っている。思春期の多感な時期、このとき私はアインシュタインの伝記を書店で座り読みしていたのだが、一つ考え事を始めたとたんに滔々と溢れ出すいくつもの由無し事に自分自身びっくりしながら筆をとったことを今でも鮮明に憶えている。まさに人生のターニングポイントで、私が「思考」の世界に目覚めるきっかけとなる出来事だった。私はこのときの事は一生忘れられないだろう。<23才・夏>】

・物事を考える時に大切なことは、「なぜそうなるのか」という疑問を抱き、またそれについて熟考することです。しかし単に1つの考えを生み出すだけではダメなのです。ああいう考えやこういう考えがたくさんある事を知った上で結果を予測し、また結果と自らの考えを照らし合わせてさらに考えることです。早く結果を知りたがる子や、結果をしったからもう自分の考えはどうでもいいや、などどいう、考えることを尊重しない子はろくな大人になれません。常によく考え、想像をふくらませることです。そう努めれば教科書に書いてあることを丸暗記するような全く無価値の能力を身に付けることはなく、教科書からは学べないことを考えるような偉大な精神をもつ人になれることでしょう。後に偉大な発想を生む可能性の高い天才の発想を育ててくれることでしょう

・ねばり強く考えたからといって、必ず結論が得られるわけではない。生涯をかけても答えを導き出すことができない場合もある。またはやっと答えが出たとしてもそれが間違っていることだって大いにあり得ることだ。だから多くの人は、すぐに答えの出る方向に行こうとするのだ。何十年かかっても、考え続けてこそ、その中にさまざまな果実を育むことができるのだ。そしてその果実の中には天才の発想が育っているかもしれない。「問題を追及する粘り強さ」、これが天才たちに共通する性格(信念)の1つであると思う

・タイガーウッズ精神(ウッズ精神)とは、相手に達成されては自分が困る状態において普通の人なら失敗しろ失敗しろと願うところを、達成しろ達成しろと(もしこいつが失敗したならおれはこんなやつを相手に(ライバルに)していたと思うとはずかしい。自らのライバルは常に自分より上でなければならない)と願う、という考え・精神である。これによれば、尊重されたくない、他人に認められた僕はこいつらの目の届く範囲にまだいるということだ。本当の理想の自分とは人からいつまでもおろかで浅いとおもわれる人であるはずだ。見習うべき精神だ

・わざわざ難しい言葉を引用して自らの考えを文に表そうとするのはなぜだ? 難しい言葉を使ったほうが賢人だとおもわれるから? でもそうしたら子どもにはまったく理解できないものになってしまう。だれのために書いてるんだ。博識な国語学者や子ども向けじゃない文を好む人たちになら、頑張って辞書引きながら書くのもいいだろう。でも本にしたりするのなら特に子どもが理解できるような文を書いてほしい。中身が変わらないのなら、万人受けするように書きたい

・嘘に気づくことが子どもの義務だと・・・子どもは皆嘘に囲まれているかもしれない。精神的に幼いから荷の重い重大な事実(大人の世界、世の中)はまだ教えるべきではないと、その子どものためを思って言わなかったり嘘をついたりする。そのことについて子どもが自ら1人でそのことに気づくかで大人になるかが分かる。深く思考した上で、受け入れたり疑問を抱いたりあるいは反動として別の新たな方向性を見いだしたり――反応はさまざまだ

・(解読不能)

●2●別紙二枚●

・どんな靴をはいて歩いたって、それは僕の足跡
【the pillows「ONE LIFE」より。<21才・春>】

・時間が解決してくれることは、自分が解決することが困難なことを解決する、偉大な存在である

・関数とは1つ決めると1つが決まることだという。例えば雷が落ちたら恐いと感じる。雷が落ちることを現象として1つ決まったことで、それに影響して恐いという感情が起こることが、“もう一つが決まる”。関数が良いことなのかどうかは分からない

・目に見えるものを追うのと、目に見えないものを追うの――どちらが大変か。即ち、目に見えるものを解決しようとすることと、目に見えないものを解決しようとすること――どちらが難しいか

★・常に考えに先行しているものがある。それはこんな僕が思考でたどりつくことはできない境地なのである。いつもそれに気づかずに、精一杯にしぼり出した低尚な考えを最善手だと思い、満足する。僕はそんなに低尚な生き物なのだ
【とりあえず満足して良しとする要請。<21才・春>】

・前後の便意によって、外見は同じでも中、例えば心中などは違う。外見がいかに意味を成さないか

・サキャ・パンディタ(13世紀チベットの人)より、「ずっと先を見つめ(規律正しく)辛抱強く、努力家にして意思堅固なもの、彼は召し使いであっても指導者になる」

・賢者は二つに大別される。人のために行動する賢者と、自分のために考える賢者だ。どちらも賢者であるから偉大だ。賢者の命題についてはあいまいだが、今回は酌量してくれ。僕の考えでは、人のために行動する賢者は、名声を集め、尊崇されるが、それゆえに有限である。自分のために考える賢者は他人を気遣う心配もなく、守るべきものがないため、それゆえに無限である。つまり僕が憧憬するのは後者のほうだ。例えばサキャのいう賢者とは前者のことである

・人が人を判断するとき、その人の行いを見るが、ほめたりけなしたりするのはその人自身だ。立派な家系はよい行いによって守られ行いが堕落すれば家系は無意味だ。だが、立派な家系に屈する人は人々に敬われる

・偉大な人はしばし衰えても、それを心配する必要はない。偉大な人にとって衰勢は喜ぶべきことのはずである。少なくとも僕はそうだ。今はうまく言えないが、嫌いなことを押し付けられて自由を奪われた時、そこから生まれる悲観的な反動はなかなかの思考因子をつくる。僕自身そうだったのだから――“悲観”は興味深い

・アインシュタインより、「いいジョークは何度も言わないほうがいい」
いいと思うことを何度も言ったらどうなるんだろう。多くの人はいいと思うことはたくさんやろうとする。何を伝えたいんだ? 頂点に登ったものは、とどまるか、下るしかない。下るのが嫌ならとどまるしかないが、それは大抵の場合困難だ

・人々にうけることがいい事だとは言えない


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