●23 23才

23才・春

・自分が何であるかを知りたい。次いで、この世界が何であるかを知りたい。人を知るには、人に目を向けなくてはならない。

・「誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けていくときほど、強く孤独を感じるときはない」〈ゲーテ〉

・「こちらが逃げれば追ってきて、こちらが追えば逃げていく」〈シェイクスピア〉

・「ものを言わぬ宝石のほうが、どんな人間の言葉よりも、とかく女心を動かすものである」〈シェイクスピア〉
【人は言葉より行動に影響される。〈23才・春〉】

・来るものは去る。

・あえてバカに生きる。

・自分の理想どおりに自分がなっているのなら、他人がどうバカにしようとかまわない。

・「金を貸すと、金も友達もなくしてしまう。金を借りると、倹約の心が鈍ってしまう」〈シェイクスピア〉

★・「後悔すること。それこそ卑怯で女々しいことだ」〈シェイクスピア〉

・「人とは何か? 寝て食うだけが取り柄なら、獣と同じその一生」〈シェイクスピア〉
【言葉を聞いて涙がこぼれた。〈23才・春〉】

・「戦いを交えるに当たっては、その唯一の目的が平和にあることを忘れてはならない」〈シェイクスピア〉

・「天使にも似た悪魔ほど人を迷わすものはない」〈シェイクスピア〉

・「無学は神の呪いであり、知識は天にいたる翼である」〈シェイクスピア〉

・他人に接するときも、自分自身に接するときも、優しさの中に厳しさがあり、厳しさの中に優しさがあるのが理想である。それが難しくても、時に厳しく、時に優しく、そう心がければよい。

・老人はあらゆる事を信じる。

・「生きるとは、この世でいちばん稀なことだ。たいていの人は、ただ存在しているだけである」〈オスカー・ワイルド〉

・「楽観主義者はドーナツを見る。悲観主義者はドーナツの穴を見る」〈オスカー・ワイルド〉

・誰かがそれを悪いことだと言うならそれは欠点である。一方で、別の誰かがそれを良い事だと言うならそれは欠点ではない。どんなものであれ、たったの一人もあなたを受け入れてくれないことなどあるだろうか。

・「人生には選ばなければならない瞬間がある。自分自身の人生を充分に、完全に、徹底的に生きるか、社会が偽善から要求する偽の、浅薄な、堕落した人生をだらだらと続けるかの、どちらかを」〈オスカー・ワイルド〉

・「善人はこの世で多くの害をなす。彼らがなす最大の害は、人びとを善人と悪人に分けてしまうことだ」〈オスカー・ワイルド〉
【生きている限り、誰しも周りに迷惑をかけることは避けられない。生きている限り、誰しも周りを不幸にさせることはできない。〈23才・春〉】

・思考とは、概念に意味をもたせることである。それは、定義することが限定することであるのと同じだ。

・「一貫性というのは、想像力を欠いた人間の最後のよりどころである」〈オスカー・ワイルド〉

★・「私たちは、不必要なものだけが必需品である時代に生きている」〈オスカー・ワイルド〉

・性格は今まで生きてきた過去の自分の積み重ね。それこそ真の誇りである。楽しかったことも辛かったことも、そのすべてが今の自分の性格を作っている。

★★・「教育は結構なものである。しかしいつも忘れてはならない。知る価値のあるものは、すべて教えられないものだということを」〈オスカー・ワイルド〉
【それは教わるものではないからだ。〈23才・春〉】

・人工知能がいよいよ人に近づいてきたら、その膨大な知識量と学習能力をもってして我々の最大のパーソナルパートナーとなる。解決、相談、アドバイス、リマインダー、その他あらゆる日常のサポートを個人に即して行ってくれるようになる。さらに科学が進むと人工知能と人の脳が連携しさらに個人に即したサポートが可能になる。しかしそうなればなるほど、自分で思考する機会が減っていく。

・人は何に価値を見出すか分からない。これをやっておくことによって将来の自分が助かるかもしれない、他の見知らぬ誰かが救われるかもしれないと思うと、“小さな怠慢”に打ち勝つことができる。

★・「ほとんどの人々は他の人々である。彼らの思考は誰かの意見、彼らの人生は模倣、そして彼らの情熱は引用である」〈オスカー・ワイルド〉
【他の人々から知識を得たときは、その倍以上の時間を自分の思考に費やさなければならない。〈23才・春〉】

・「男の人って、一度女を愛したとなると、その女のためなら何だってしてくださるでしょ。たった一つ、してくださらないもの、それはいつまでも愛し続けるってことよ」〈オスカー・ワイルド〉

・「男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる」〈オスカー・ワイルド〉

・「本当に魅力的な人間には、2種類しかない。何もかも知り尽くしている人間か、まったく何も知らぬ人間かのどちらかである」〈オスカー・ワイルド〉

★・他人が何を考えているのか、何をしているのか、何に価値を置いているのかを知りたいと思う。人との会話では、それを知ることを目的としたいと常に思う。

・「他人の悲劇は、常にうんざりするほど月並みである」〈オスカー・ワイルド〉
【本質的には人はみなエゴである。〈23才・春〉】

・「男女の間では友情は不可能だ。情熱と敵意と崇拝と愛はあるが、友情はない。」〈オスカー・ワイルド〉
【友情とは何か? 〈23才・春〉】

・「拙劣な詩はすべて本当の感情から生まれる」〈オスカー・ワイルド〉
【人は理性によってはじめて賢くなる。〈23才・春〉】

・「人は自分の最も悪い習慣でさえ失うことを残念がる。なぜなら、それこそがその人の人格の本質的な部分であるからだ」〈オスカー・ワイルド〉

・「軽薄な者だけが自らを知る」〈オスカー・ワイルド〉
【自らを知るのは唯一、自らを知ろうとする者のみである。〈23才・春〉】

・思考を仕事にする。ちょっとした思考や由無し事をふせんにメモする感覚で投稿でき、それをユーザー同士が気軽に共有・レスできるシステム。投稿は必ずしも質問である必要はない。似たような思考ボードは双方の承認の上で統合できる。招待・グループ作成・個人チャットも可能。ユーザーの投稿から思考形態を自動判別してカテゴリー分けし、一思考ボード内で枝分かれしてゆく思考形態を思考マップとして表示する。お気に入りの思考ボードを登録しておけば最新の投稿をリマインダーしてくれる。
目的:人にとって一番身近な「思考」をもっと気軽に共有化させたい

・あいつはダメな奴だと批判するより、あなたのその行いを見て自分は悲しいという表現のほうが相手に罪悪感を与える。
相手のことを言うのは、相手の価値を定めているということ。自分の感情や意見を言うのは自己表現である。

・よく考える人は自ら自分に問題を課し、課せば課すほど良い味が出ることを知っている。
【自ら「窮鼠猫を噛んで」いる。しかしその行いは“自ら”しているので苦し紛れではない。〈23才・春〉】

・好意承諾では“相手のピンチを助ける”のは有効手段の一つである。ピンチを助けて感謝されるには、ピンチの場面をよく知ること、またそれに対して適切な対応ができることが重要である。

・後で読み返したときに最も理解しやすい文章こそ最高の文体である。

・時にうまくいき、時に失敗する人のほうが人間らしくて私は好きだ。

★・私は働くために生きているのでも、食べるために生きているのでもない。私は、私がこの限られた人生の中で何をするべきかを考え、実際にそれをするために生きているのだ。まずは全てを包摂する“思考”について、それが何かということについて考えなくてはならない。

・自分にとって何も有意義にならなければ、結局そこにいていないようなものだ。
目標が視野を狭める (444x640)
【スケッチブック「目標が視野を狭める」を追加。〈23才・春〉】

・相手に伝わるには、メタメッセージ(言葉の意味/意図)をよく伝えるように心がけるとよい。

★・一日一日を目標を持って有意義に過ごす。毎日、自分がどれだけ目標へ進んだか振り返る。

・失敗なんて誰にでもある。その失敗をどう生かすかで自分を成長させてくれる。一つ一つの失敗にくよくよしない。

・あなたにとってあなたの思考はあなた自身そのものです。あなたの人生はあなた自身で考え、選択し、責任を負うのです。

・人の価値に年齢、性別、身分、障害、容姿、性格、お金、評価、その他あらゆるものは関係ありません。自分自身の価値は自分が決めるものだけです。他人は関係ありません。
ある人が自分自身の価値はお金だと思うのなら、お金の有る無しがその人の価値になる。/ただし価値の意味が主観的価値なのか客観的価値なのかなどの前提条件によることは大前提の上です。

・相互し合ってはじめて強くなる。
相互し合ってはじめて強くなる (444x640)
【スケッチブック「相互し合ってはじめて強くなる」を追加。〈23才・春〉】

・あらゆる悩み、あらゆる考え事がまるでふせんにメモするかのようにもっと気軽に他人と共有できるような社会になれば、一人一人が今よりももっと人を好きになり、悩んでいた人は一歩踏み出す勇気が持て、思索多き人の思考はより豊かに富む。
【この言葉は、「悩み事・人生相談 受付中!」のコーナーの存在意義である。〈23才・春〉】

★★・行為の結果ではなく意図そのものが本来の賢さの基準である。
【意図を知り、人を知る。人を知り、人を愛す。〈24才・夏〉】

・人はなぜ人を愛するのか。愛されたいからか、他人の中に生きるのが人間の存在意義であるからか、生殖本能に根ざしているからか。いや、しかしそのどれもである。
【実に多くの物事において、問われる原因は一義的ではなく多義的、つまり「複合原因」ということである。〈23才・春〉】

・父親 母親との対立が根底にある。反抗期のときの抑圧のダメージがずっと残っている。

・相手を知る。表面的な知識だけではなく、むしろその知識に対する相手自身の考え方や印象を知るところまで掘り下げる。例えば「それについてどう思っているか?」と問いかけ、相手の考え方や価値観を知ることを第一に意識する。例え話は相手の経験に即したものを用いる。

・誰かとの会話の中で相手を知ることを心がけている。以前Skypeをやっていた2012年頃の私は相手に俄然興味を持っていて、相手が一つ言ったことに対していくつもの質問が頭に浮かんでいた。何を考えているのか、相手のことを知りたいという欲求が強くあった。その頃の心に戻りたい。

・永遠につづく愛などあるのか。私は愛を知らないから分からない。分かりたいけども。

・バランスは大事である。しかし何が一番大切かを考えてその比重を決めるべきだ。

・人が桜に魅入られる理由:色、季節限定、春に対しての良いイメージの連想。

・真に理解しているとはどういうことか。それに反する逆風に全く動じないことだ。向き不向きがあることを心から理解しているならば、不向きな事から起こる失敗や周りからの批判をものともしないし、自ら負い目を感じることもない。

・自分はこれから何をするべきなのか。(私の口癖)

★・この世界には何一つ決まっているものなどない。物理的に決まっている自然でさえ、心の持ちようでどんなものにでもなる。思考は包摂されない。

・人生の中で最も価値があって一番大切にしているものは何かと聞かれれば、間違いなく私は「それは思考だ」と答える。

・一つの目的を設定するときは、そもそもなぜ目的を作るのか、その目的についても考える必要がある。

・その人が何をしようと基本的には個人の自由であり、私たちはそれを寛容するべきである。ただやはりそれも他人に迷惑をかけたり悪意があるものについてはバランスを取らなければならない。

・人生について「どう飛んだか、どこを飛んだのか」
【365日の紙飛行機/AKB。〈23才・春〉】

★★・思考は人生の設計士である。

・自ら登ったところから落ちたとしてもそこは登る前の自分と同じ場所なのに、感情は哀と楽で正反対だ。

・どれほど一生懸命さがみえていても、悪意のある行いに対してはそれを助長するような手助けをしてはならない。

・困っている視覚障害者の人をバス停まで案内して手助けした。生きる権利のある人が一生懸命生きているのを社会は手助けしなければならない。しかし社会といっても、それは一人一人の力によってなされる。

・女性の本音「どうして男性は一番愛し結婚した妻がいるのに他の女性と不倫するんですか?」

・職場結婚が多い理由
(1) 一緒にいる時間が長い
(2) 自分の理解者になってくれる
特に自分の理解者になってくれる人に好意を抱くという心理があることは大きい。これは好意承諾においても有効である。

・原因や理由を探るとき、それは一つだけだと決めてかからずに、むしろ原因は複数ある可能性が高いというふうに「複合原因」を意識することが望ましい。

・「男はどんな女とも幸福にやっていくことができる。その女を愛さない限りは」〈オスカー・ワイルド〉
【私たちはいつも最高潮の愛が永遠の愛なのだと錯覚しがちだが、残念ながら愛の強さはその持続性とは関係ない。/それは友情ではないか。しかし愛にしろ、友情にしろ、それはコントロールできない。〈23才・夏〉】

・思考は私たちが五感で感じるもの、想像できるもの全てをその対象にする。私たちにとって思考できないものはない。しかしこれは同時に次のような別の言い方にもできる。私たちは思考できないものを知らない――(命題とはいつもこういうものである)。私たちは思考という名の自由に縛られている。

・カウンセリングの多くが「今日はどんな気分ですか?」で始まる。

・だれもが何度でもやり直せる社会。

・「これなに?」「おかしくない?」という考え方、そのようなクリティカルな視点をもつことが大切である。まず、現実を見ることから始まる。不都合なこと、面倒なことから逃げないことから始まる。

・「人間の深いところに潜んでいる偏見や差別は決して無くならない。人間はそういう存在だからだ。しかし、それをなんとかしていこう、どうやって乗り越えるのかと取り組むことが大切だ」〈石井裕[MITメディアラボ副所長]〉

・「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」〈ウィリアム・ジェイムズ〉

・前提を説明せずとも明白に共有できる場合は前提の説明は要らない。しかしいくつかの前提が考えられる場合なら、前提条件を補説したほうが相互コミュニケーションが成り立ちやすい。

・結婚が人生で最高の幸せだと言われるときは、たいてい、飽きが考慮されていない。

・「経験はただで手に入らないものだ」〈オスカー・ワイルド〉
【“ただ”は傷つかないという意味。〈23才・夏〉】

・短時間で相手に好印象を与えるにはどういう行動をとるべきか。芸能人に会った時などに使える。
(1) 細かい情報を羅列することで本当のファンだなと気づかせる。
(2) 自分が相手のことをいかに好きかを詳しく伝え、とにかく褒めちぎる。
(3) 相手の経験に引きつけた内容と質問でテンションを乗らせる。
(4) 差し入れをする。食べ物の差し入れは瞬間的な嬉しさを相手にもたらすが、食べてしまえばそれで終わり。したがって消化しない物の差し入れがおすすめ。

・「不安になるのはそれだけ相手に本気だってこと。不満が出るのも、それだけ相手に期待してるってこと。素直になればいいんじゃないですか」〈ドラマ『いつかティファニーで朝食を』〉

・「心も身体もシンプルになりたいのかも」〈佐藤麻里子[ドラマ『いつかティファニーで朝食を』]〉

・子どもの前での親同士がケンカは良くない。子どもに気を遣わせて窮屈な思いをさせてはダメだ。

・「見ず知らずの他人が愛し合う。家族が生まれる。そんな当たり前だと思っていたことがどんなに素晴らしくて難しいことなのか、たぶん私はこれから知っていくのだろう。父や母のように」〈新井里沙[ドラマ『いつかティファニーで朝食を』]〉

・「~(子ども)と一緒にいるときが一番楽しい」という親の言葉ほど子どもを喜ばせるものはない。親は意識的に子どもを褒め、愛情を表現し、子どもに自信を持たせることを心がける。

・意見が合わないときでも折り合い、お互いの個性を認め合いながらも、仲良く歩んでいく。恋にはシンクロが必要である。

★★・「見知らぬ人に冷たくするな。変装した天使かもしれないから」〈アニメ『英国一家 日本を食べる』〉

・苦手だと思った相手には自分から心を開くように心がける。相手を苦手だと思っている間は相手の良いところが見えていないので、相手の良いところを積極的に見つけ、それを伝えると相手も喜んで心を開いてくれるようになる。

・「どんな難問にも必ず答えはある」〈ドラマ『下町ロケット』〉
【答えのない問題はない。〈23才・夏〉】

★・時は金なり。/自分が本当にやるべきことをやらなければ、後で必ず後悔する。

・理屈ではない。もし勘違いであっても、もし間違っていたとしても、正しいと思っているものは私たちにとって正しくなる。それを人間らしさというのだ。

・誰にでもミスはある。ミスを認めしっかり反省したならば、もうくよくよせず気持ちを切り替えていかなければならない。しかし私は頭でそれをわかっていてもずっと、怒られたことを引きずってくよくよしている。私は自分の精神的な弱さを痛感した。ミスをした自分よりも、考える力はあるのに実行力が低い、そんな自分に嫌気が差す。

・心からそう思っているはずなのにそう思えないのは、本当にそう思ってはいないからなのか。正直な気持ちを抑圧していることに気づいていないということなのか。しかしそういう時、私たちは「どうして自分の感情をコントロールできないのだ」と思ってしまう。どんなに自分自身に言い聞かせても、心からそう思っていなければ、本当の気持ちを隠すことはできない。心は嘘をつけない。

・最大の恐怖の前には静寂がある。

・相手の意見に反対することを恐れて迎合すること、そして自分の考えを相手に伝えられずに自分の意にそぐわない結果になること、これに対する激しい後悔と自己嫌悪がどれほど不健全な悪であるか。相手の意見に反対することを恐れるな。議論の中にこそ真に有意義なやり取りがある。

・私は製品を買うとき、店員さんにあれこれおすすめされようともきちんと自分の考えを元に購入を判断できる。なのにどうして、医師に対しては自分の意にそぐわないことをきっぱり断わることができないのか。どうして自分の考えをきちんと伝えられないのか。

・〈子どもの非行について〉
親が何もしないで、子どもが自然に直ることはない。子どもをいくら叱ろうとも、親の涙ほど子どもの心を打つものはない。親が本当に悲しむ姿を子どもに見せなければ、子どもは犯罪をやめることができない。

・何もしなければ怒られることはない。ただ、積極的に冒険する者は人生を後悔しない。

★・どんなものでもずっと付き合えば素晴らしいものになる。

・「自分ができないことができる人はみんな先生なんだよ」〈緒形拳〉

・覚悟を決めた人は強い。

・「愛は支配したほうが勝ちなのよ」〈NHK連続テレビ小説『まれ』〉
【自分の思い通りに相手を動かせるのが勝ちということなのか。〈23才・夏〉】

・〈静かな愉しみ〉
ドラマを観るのは面白い。しかし終わってみるとそれは一喜一憂のように思える。一方で、自分の為になることは一時的に高揚する楽しさではない。それは静かな愉しみとも言うべきものである。

・不可能なのではない。難しいだけだ。

・人は選択肢を与えられるとその中から選ばなければならないという心理がはたらく。家事を手伝ってほしいとき、「トイレ掃除やって」と言うよりも「ごみ捨てとトイレ掃除どちらをやる?」と選択させる。子どもにパジャマから洋服に着替えてほしいとき、「早く着替えなさい」と言うよりも「この可愛らしいスカートとあなたの好きな色のズボンどっちを着る?」と尋ねてみる。相手がどちらを選んでも自分に都合の良いいくつかの選択肢を提示し相手に選択肢を与えることは、直接命令する場合よりも承諾率が上がる。

・「よく考えなさい。状況に惑わされずに」〈NHK連続テレビ小説『まれ』〉
【いつでも、これは選択の基本。〈23才・夏〉】

・嘘をつけるものこそ、嘘をついてはならない。そうしてようやくゼロになる。

・私は自分の子どもの夢を操作しない。子どもも一人の人間、一人の人間として、後悔だけはしないように生きてほしい。親が思う子どもの幸せが子どもの幸せだとは限らないから。

・学習の一番の種は体験することである。言葉で言い聞かせても、頭で分かっていても、人を変えるほどの決意は体験してこそ存分に得られる。

・人は理由を知りたがる。何かを制限するときは理由も添えておかなければならない。

・「やりたいことを、やりたい時に、やりたいだけやろう」〈キンシオ〉
【「3つのY」、キンシオのモットー。〈23才・夏〉】

・「なつかしいを通り過ぎると切なくなる」〈キンシオ〉

・達成度[関係]がいつもそこに息づいている。

・少し痩せているより少しふくよかなほうが、充分に栄養が行き届いていて健康そうにみえるので私は好きだ。
【女優の土屋太鳳を見て思ったもの。〈23才・夏〉】

・オーガニックな服は自然と生きているような印象をいだかせる。

・考えるって素晴らしいことだ。私の人生の目的はこれなのかもしれない。恋愛、結婚、社会地位、名声、必要以上のお金、それら全てよりも、私は自由がほしい。

・仕事をしているとき、頭が空っぽだ。仕事の忙しさにかまけて、本当に自分がやるべきことを考えるのを忘れている。

★・「人生には夢が必要である」〈NHK連続テレビ小説『まれ』〉
【人生はただ生きていればよいというものではない。私は私の生きる目的を考え続け、そのように生きよう。後悔だけはしないで。〈23才・夏〉】

・同世代の友人は仕事のグチとか人間関係とか恋の話ばっかり。自分が語り合いたいのは、お互いの将来の夢とか、日常生活のこととか、お互いが考えていることについてなのに。

★・「考えることは大事だが、悩むことは無意味だ」〈キンシオ〉
【ある意味でそのほうが正解なのかもしれない。〈23才・夏〉】

23才・夏

・自分が知らないことを自分の都合の良いように言ってはいけない。怒ってはいけない。

・ただ、自分の居場所を見つけたいだけだ。
【参考:良寛[江戸時代の僧侶]。/人生の目的を考えたとき。〈23才・夏〉】

・旅=自分を見つめる
【参考:良寛[江戸時代の僧侶]。〈23才・夏〉】

・「心月輪」(心は月のように円くありたい)
【参考:良寛[江戸時代の僧侶]。〈23才・夏〉】

・「世の中にまじらぬとにはあらねども ひとり遊びぞわれはまされる」〈良寛[江戸時代の僧侶]〉
訳:世間のことに関与しないというわけではありませんが、孤高の精神世界に遊ぶことが自分には一番の喜びなのです。
【ひとり遊び=自分の満たされる世界。〈23才・夏〉】

・孤独であることに満ち足りている。
【参考:良寛[江戸時代の僧侶]。〈23才・夏〉】

・私は今、理想の生き方を模索している。そして良寛の生き方、世間と完全に離れることはなくとも孤独に満ち足りながら自分の満たされる世界と向き合う「一人遊び」に、自分の理想の生き方を見出した。一人遊びこそ、我が人生の道である。

・言語化=“感覚”で終わらせないために。

・「私が私であるように、あなたはあなたであれ」
【参考:100de名著『内村鑑三』。〈23才・夏〉】

・私たちは真実を作っているのではなく、物語を作っているのだ。
【参考:100de名著『内村鑑三』。〈23才・夏〉】

・後世の人のために何ができるか。ある人は後世にお金を残す。ある人は事業を残す。ある人はその生涯を残す。私は思想を残す。
【参考:100de名著『内村鑑三』。〈23才・夏〉】

・「木の実の味が分かるのはそれを食べた人だけである。私たちは自分が何者かを語ることは永遠にできないのだ」
【参考:100de名著『内村鑑三』。/若干理屈クサい。自分自らが知ることのできるものと、知ることのできないものがある。〈23才・夏〉】

・私たちは失ってはじめて、その価値を高める。これを後悔という。

・「人は客観的な世界ではなく主観的な世界に住んでいる」〈A・アドラー〉

★・「人生はすべてあなたが決めている」〈A・アドラー〉

・過去のトラウマはそれ自体がトラウマなのではなく、ただ自分が出来事に後ろ向きな意味づけをしているにすぎない。出来事はただの事に過ぎず、それをどう解釈するかによってその人の過去が作られ、現在と未来に影響を与える。
【参考:100de名著『A・アドラー』。〈23才・夏〉】

・一つの言葉の意味がお互いで食い違うことがある。こういうとき、言葉は役に立たない。言葉の定義を突き詰めようとするのではなく、言葉の裡にあるメタコミュニケーション[意図]を読み取りなさい。

・「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである」〈A・アドラー〉

・「何が与えられたかではない。それをどう使うかだ」〈A・アドラー〉

・「ありのままの自分を認めよ」〈A・アドラー〉

・「競争や勝ち負けで生きていると、必然的に劣等感が生まれてくる」〈A・アドラー〉
【それを解決するのは個性の自認だ。〈23才・夏〉】

・「子どもの頃に甘やかされて育つと、大人になっても他人に強く依存する人間になってしまう」〈A・アドラー〉
【褒める、叱るといった賞罰教育がどちらかに偏ると性格はどうなるか。褒めて伸ばすがモットーの両親の元で育った子どもは、何をやるにも他人の反応を気にし、褒められなければやらない、あるいは褒められないと怒る大人に育つ。床に落ちているゴミを拾おうとするとき、彼は無意識に周りを見回す。良いことをしている自分を見てくれている人がいるかを確認するためだ。したがって、褒めるあるいは叱るが一方に偏った賞罰教育を受けた子どもは、それがバランス良く行われた子どもよりも「承認欲求」が強くなる。〈23才・夏〉】

・人間の言動はそれを引き起こした心理の表出化である。言動は多くの場合、複合的な心理要因からなる。例えば夜尿症、いわゆるおねしょには相手に迷惑をかけることで相手の気を引きたいという本音を暗に表しているケースがある。
【参考:100de名著『A・アドラー』。〈23才・夏〉】
【「腎臓、あるいは膀胱の障害に悩む家庭では、排尿に関係するあらゆることがあまりに強調される。母親たちは、そのような時に、遺尿症を止めさせようと、誤って過度に努力する。子どもが、この問題にどれほど価値が置かれているかに気づくと、おそらく、反抗するだろう。夜尿はいくつかの目的に役立つ。注目を引くこと、他の人を仕えさせること、昼だけでなく、夜も注目させることである。時には、反感を買うために使われる。その習慣は宣戦布告なのである。子どもは、口の代わりに膀胱で話すのである。身体の弱さは、子どもに自分の考えを表現する方法を与えるだけである。このようにして自分を表現する子どもたちは、いつも何らかの種類のストレスを被っている。一般的には、そのような子どもたちは、注目の中心にはいられなくなった甘やかされた子どもたちである。おそらく、きょうだいが生まれたので、母親を自分にだけ注目させることが難しいと思うのである。そこで、夜尿症は、たとえ、不快な手段によってでも、母親とより親密に接触をしようとする試みを表している。結局、こう言っているのだ。『私はあなたが思っているほど大人ではない。まだ世話されなければならない』と」〈A・アドラー〉。〈23才・秋〉】

・どれくらいやるのかより、まず何をやるのかを考える。

・偽善者、もうその言葉があってないようなものだ。

・自由の反対は「奴隷」

・「悲しみの表現を身につけると、あなたにとって貴重なものとなる。喜びの表現を身につければ、限りない喜びが味わえるというものだ」〈オスカー・ワイルド〉

・愛はお互いの愛が合致し、持続して初めて幸せの形になる。

・静かな愉しみは、いつも一つのことを深く突き詰めたところにある。

・「人生で必要なものは無知と自信だけだ。これだけで成功は間違いない」〈マーク・トウェイン〉

・〈社会的価値と個人的価値〉
例えば物理学という分野は社会に資するものだから、その分野で活躍する科学者はおのずと世間の注目を浴びる。しかし人々が注目しないことが無価値なものだと一概に決められるものではない。それは、人間にとって、自分にとって、何が一番価値があるのかと問いかけたとき、個人の価値が必ずしも社会の価値とイコールになるとはかぎらないこの事実に由来する。

・「正しい友人というものは、あなたが間違っているときに味方してくれる者のこと。正しいときには誰だって味方をしてくれるのだから」〈マーク・トウェイン〉

・優しさも愛の形。

・嫌な事と付き合っている時間は短くてもよい。ただ、その中で勇気を示せ。

・高いパフォーマンスを出すには、休息と犠牲が必要である。

・「やったことは、例え失敗しても20年後には笑い話にできる。しかし、やらなかったことは、20年後には後悔するだけだ」〈マーク・トウェイン〉

・「名声は霧、人気は偶然の出来事。この世でただ一つ確実なもの、それは忘却である」〈マーク・トウェイン〉
【確実な退行のそれをするならば、前進することも確実にできない。〈23才・夏〉】

・「もし腹をすかせた犬を拾って不自由なく暮らせるようにしてやれば、噛んだりしないものだ。これが犬と人間の根本的な違いである」〈マーク・トウェイン〉

・「友人たちが『若く見えるよ』と誉めだしたら、あなたが年をとったしるしだ」〈マーク・トウェイン〉
【「“年齢のわりには”若く見えるよ」という含みがある。若い子に若く見えるよとは言わないものだ。〈23才・夏〉】

・「彼は人を好きになることが好きだった。だから、人々は彼のことを好きだった」〈マーク・トウェイン〉
【彼が本当に人を好きでなければ、周りも必要以上に彼に近づかないだろう。/嫌いになることは、その人との関係を放棄すること。〈23才・夏〉】

・「自分を元気づける一番良い方法は、誰か他の人を元気づけてあげることだ」〈マーク・トウェイン〉
【好意の返報性を利用して己の承認欲求を満たす。〈23才・夏〉】

・褒めるべきところを見極め、もっと積極的に褒め、一人一人を幸せにすることができるのに。
【私たちの人間関係をより良くする魔法の薬、それが「褒める」。皆が今よりもう少しだけお互いを褒めることができたなら、私たちはもっと幸せになれる。褒めると相手が幸せになる、自分も幸せになれる。〈23才・秋〉】

・事実と期待の混同。

・最も注意しなければならないものこそ、なかなか気づきづらい。

・器量の大きな人は、人の夢にケチをつけない。チャレンジすることは無駄ではないことを知っているから、人の夢を応援し、その可能性を信じてくれる。

・勇気がありながらも賢く、自信を備えていながらもしかるべく慎重、勇敢でありながらも優しさを持ち合わせている。
【参考:「きみの成功を祈る。勇敢でありながらも論理的、投機的でありながらも用心深く、大胆な勇気を示しながらも、その上、しかるべく慎重でありたまえ」〈サミュエル・バトラー〉。〈23才・夏〉】

・「勝者と敗者を分けるのは、一日5分間、考えるかどうかで決まる」〈マーク・トウェイン〉
【賢者と愚者を分けるのは、一日5分間、考えるかどうかで決まる。〈23才・夏〉】

★・自分の信念を貫いて攻める。これほど刺激的なことはない。

・人生には少しの毒が必要である。
【何事も行き過ぎると毒になる。勇敢でありながらも中庸であれ。〈23才・夏〉】

・思考に型などない。直接型思考だけに囚われず、間接型思考を極め、その想像力を無限に広げよ。

・思考と現実の架け橋。思考と現実は互いに影響を及ぼし合っている。幸せになりたいなら、現実を変えるか、考え方を変えるかのどちらかしかない。貧しい暮らしをし、周りから見ればちっとも幸せそうに見えなくても、心が豊かであってうんと幸福な人が世の中にはいる。

・ケンカの解決は、同じ場に両当事者と仲裁役の第三者を座らせて話し合うことが一番の解決方法である。

・「私に批判的な人たちが私のことを何と言おうと、彼らが真実を語らない限りは気にしない」〈マーク・トウェイン〉
【このくらいの自信は私たちも持つべきである。〈23才・夏〉】

・知らないことは知らないとはっきり言う。見栄を張らない。

・「人をほめたら同時にものを頼んではいけない。ほめ言葉は無償でなければ価値がない」〈マーク・トウェイン〉
【「慈善は、それが犠牲である場合のみ慈善である」〈レフ・トルストイ〉。〈24才・夏〉】

・「人間は誰もが月である。誰にも見せない暗い面を持っている」〈マーク・トウェイン〉
【人生は孤独だ。それでも人は、ささやかな幸せを見つけながら必死に生きている。〈23才・夏〉】

★・私の思考の特徴は、連想と想像を広げるところにある。私は間接型思考を愛している。

・私の理想の思考は16歳のときの私自身だった。いつも、そのときの好奇心と疑問の塊だった純粋な心に戻りたいと思い努力している。

・私たちは過去のみを見てしか語ることができない。これから次々と生まれてくるであろう偉大な人たちを知ることができないことを残念に思っている。
【私たちは知っているものしか語ることはできない。知らないものを考えることはできないからだ。〈23才・夏〉】
【私たちはUFOを知らない。しかし知らないからこそ、私たちは想像上のUFOを作り出すことができる。その想像は後に本物が登場してくるまで、しばしば真実に取って代わられる。〈23才・秋〉】

・「私がこれまで思い悩んだことのうち、98パーセントは取り越し苦労だった」〈マーク・トウェイン〉
【ただ、思い悩むこと自体を否定したくはない。〈23才・夏〉】

・相手のことを大切に思っているならば、相手が苦しんでいるときこそ手を差し伸べるべきだ。

・どうでも良いことを極めた人=時間の使い方を間違えた人。
【時間の使い方、自分が本当にやるべき事は何か。〈23才・夏〉】

★★・私たちは自分がどう生きるか、人生を選択できる。その喜びを実感する。

・世の中には素晴らしいことがたくさんある。
【今の私はこれを実感できているとは言えないが、いつか実感できるときが来ることを信じている。〈23才・夏〉】

・「やっかいなのは、何も知らないことではない。実際は知らないのに、知っていると思い込んでいることだ」〈マーク・トウェイン〉
【うぬぼれの無知、これは本当にやっかいだ。〈23才・夏〉】

・「真実が靴を履いている間に、嘘は世界を半周する」〈マーク・トウェイン〉

・「迷った時には真実を話せ」〈マーク・トウェイン〉

・「友情という神聖な情熱は、実に美しく、揺るぎ無く、気高く、永続的な性質を持っている。だから、それは全生涯を通して存続するものだ。ただ、金を貸してくれとさえいわれぬ限り」〈マーク・トウェイン〉

・「勇気とは、恐怖に抵抗することであり、恐怖を克服することである。恐怖を抱かないことではない」〈マーク・トウェイン〉
【恐怖は克服してこそ自分の成長になる。克服できなければ恐怖は逆に自分を苦しめる悪魔と化す。〈23才・夏〉】

・突然込み上げてくる怒りは、まだ完成されておらず不完全なものである。怒りを感じたら、一呼吸置いて冷静に考えてみて、それから怒るようにしよう。
【大事なのは、どんな感情のときでも自分を冷静にコントロールできること。〈23才・秋〉】

・私たちは金を稼ぐことに多大なエネルギーを費やすが、肝心の金をどう使うべきかについて考えることはほとんどしない。

・「難しいのは友のために死ぬことではない。命をかけるだけの価値がある友を見つけることが難しいのだ」〈マーク・トウェイン〉
【親友を見つけるのは難しい。自分がどんな友を欲しているのか、どんな恋人を欲しているのかを明確に定めておく必要がある。〈23才・夏〉】

・〈私が求める親友のカタチ〉
お互い素で居られる
夢や価値観を話し合える(シリアス面)
軽い冗談を飛ばして笑い合える(ユーモア面)

〈私が求める恋人のカタチ〉
お互い相手のことを大切に想う気持ち(愛情)

・人々の賛同を得られても、自分の賛同が得られなければ長続きしない。
【私たちは自分自身の行動について、本当に納得してやっているのか、本当にしたいと思ってしているのか、いやいややっていないか。さあ、今度はあなたが自分を変えるために立ち上がる勇気が必要な時である。〈23才・秋〉】

・「アダムはリンゴを食べたかったから食べたのではない。禁じられていたからこそ、食べたのだ」〈マーク・トウェイン〉
【人が犯罪を犯したり悪行を働くのも、その原因心理が「好奇心」であるケースが多い。特に、人は禁じられると逆にやりたくなるのも、禁じられることによってかえって好奇心が増すためだと考えられる。良くも悪くも好奇心。〈23才・夏〉】

★23才★・無心思考を前にして思う。物事を知るとは何か。

・「ユーモアの源泉は歓びにあるのではなく、悲しみにある」〈マーク・トウェイン〉
【歓びと悲しみは表裏一体。〈23才・秋〉】

・「我々が皆同じ考え方をしたからといって、それが一番良いということにはならない」〈マーク・トウェイン〉
【彼は停滞を感じ取るなり、積極的に改革を試みた(彼=M)。〈23才・夏〉】

・対概念の両者はセットで私たちを取り巻いている。幸せを手に入れる者は、不幸も背負わなければならない。こうして私たちはホメオスタシス[恒常性]に基づいて精神の安定を図っている。
【安定のホメオスタシス…安定させたいことを、動かずにいることで「安定」を図る類のものではなく、“動く”ことで安定させるようにするという種の恒常性。/幸せの中に不幸を見ている。不幸の中に幸せを見ている。〈23才・夏〉】

・何に熱中するにしても、熱中できることは素晴らしいことだ。熱中というものは、何気ないことから喜怒哀楽を生み出せるのだから。

・お酒は精神的な意味でのメリットが大きいのかもしれない。何事もやり過ぎると害になるが、お酒もほどほどに飲む分には身体的な害はない。
【しかしその“ほどほど”というのはしばしば主観的になりがちである。〈23才・秋〉】

SE・「苦労しなければ人は大成しない」〈アルバイト先の仲間 Tさん〉
【辞めたアルバイトの最終日に言われた励ましの言葉。〈23才・秋〉】

・2016年 リオデジャネイロ五輪の体操 個人総合決勝で内村航平選手が逆転金メダルを取ったシーンに感動した。内村航平選手のメンタル、どんなに劣勢な状況においても最後まで諦めない気持ち、そして自分を信じる力の強さに学ぶべきものがあった。内村航平選手こそ、最高のアスリートである。私は彼を尊敬する。

・「人は変えられない。他者を支配したり操作はできないからだ。でも私は変えられる」〈A・アドラー〉
【人の課題、自分の課題。課題は、事の顛末が誰に返ってくるかで考える。子どもがどう生きるかは子どもの課題であって、親はそれに対してアドバイスはできても支配はできない。課題を分離して考えること。〈23才・夏〉】

・「嫌われる勇気を持ちなさい。嫌われる勇気と、幸せになる勇気は同じだ」〈A・アドラー〉

・〈アドラーの言う「勇気くじき」〉
勇気くじきとは、相手のダメなところばかり指摘して、何かやろうとする勇気をくじかせること。親や上司がよくやること、理想の子どもや部下をイメージし、現実の相手をそこからの引き算でしか見ない。親や上司が子どもや部下の悪い点だけを探しているから、彼らがどんなに適切なことをしても、褒められることがない。親が子どもに言う「えらかったね」という言葉は、相手を下に見て言う言葉である。これでは対等の関係ではなく上下の関係である。対等でなければ人は自分に価値を感じられない。「えらかったね」と見下した言い方ではなく、「ありがとう」と言えば、子どもは貢献感を感じられ、自分に価値があると感じることができる。
私たちは親と子、上司と部下の関係は、上下の関係であると考えている。しかし、あらゆる対人関係のベースは、横の関係、つまり対等な関係である。知識や経験の量に違いはあっても、人間としては対等。褒める⇔叱るではなく、教える⇔教わるの関係が対等な横の関係の基礎である。
【参考:100de名著『A・アドラー』。〈23才・夏〉】

・〈アドラーの言う「勇気づけ」〉
他者への「貢献感」を感じられる→自分に価値があると感じられる→勇気が持てる
相手が勇気を持てるように援助することが勇気づけになる。
【参考:100de名著『A・アドラー』。〈23才・夏〉】

・暗闇の中においてこそ光は輝く。
【しかしたとえ周囲が明るくても光そのものの輝きは変わらない。私たちは周りに惑わされずして、いかに価値を見出せるのか。〈23才・夏〉】

・君たちは君たちの人生の主人公なのだから、思い通りに生きればいいのだ。
【参考:100de名著『A・アドラー』。〈23才・夏〉】

★・自分を嫌う人がいるということは自由に生きている証である。自由に生きるためにはそれくらいの代償は支払わなければならない。
【参考:100de名著『A・アドラー』。/人に嫌われてもいいから素直に生きることだ。それが自由に生きる勇気である。〈23才・夏〉】

・作為[意図]があれば必ず理由が存在する。とすると作為がなければ、理由は存在しないのか。もし自然に作為がないとするなら、なぜという問いさえ無意味なのか。
【私たちはなぜ生きているのか、という問いからの間接的思考。〈23才・夏〉】

・美味しいものを食べる、それは人生を楽しむ一つの方法である。
【人間の基本的欲求、「食欲」「睡眠欲」「愛欲」。〈23才・夏〉】

・真実とは、あなたが信じるものである。
【真実は確かめようのないものであることを前提に置いた場合。〈23才・夏〉】

・「先に進むための秘訣は、先に始めること。先に始めるための秘訣は、複雑で圧倒する仕事を扱いやすい小さな仕事に分解して、最初のひとつを始めることだ」〈マーク・トウェイン〉

・「良き友、良き本、眠りかけた良心、これぞ理想の人生だ」〈マーク・トウェイン〉

・天性の才能はすばらしく、誰にも真似できない。だがそれ以上に、努力して得るものは唯一無二の価値である。

・「毎年、数千人の天才が自分にも他人にも見出されることなく死んでいく」〈マーク・トウェイン〉
【それを一人でも多く見出すのが私の仕事だ。/皆何かの天才だ。私の仕事は、それが何かを見出すことである。〈23才・夏〉】

★★・いつも何かを忘れている。

・社会に影響を与えるか与えないかは、私には全く関心がない。他者から得られる共感が、真実を言い当てているわけではないのだから。

・「あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【『改めてなお、素晴らしい言葉』認定作品。〈24才・秋・2017/09/03〉】

・「とにかく、新しい毎日なんだ」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【思考は学習的でありながらも新しく(新しく=疑問的)。〈23才・夏〉】

・「何と多くの人が財布の中身を考え、他人の思惑を考え、家庭を考えて、つまらない人生に甘んじてしまうことか」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉

・「心の底からやりたいと思わないなら、やめておくことだ」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉

23才・秋

・「年を重ねると、ヒーローを見つけるのがより難しくなるんです。でも、本当は、年を重ねた時こそ、必要みたいです」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【ヒーロー=夢、憧れ。老年は思想が完成されがちだが、老年こそ思想を追い求める途上であるべきだ。〈23才・秋〉】

・「我々はいつも恋人を持っている。彼女の名前はノスタルジーだ」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【生き別れた両親兄弟でもそう、私たちは家族と会えないときノスタルジーを抱く。ところが家族とよく会っているなら、そのノスタルジーも薄れてしまう。しばらく会わないことで強くノスタルジーを抱くならば、それは相手を大切に想っている証である。ノスタルジーとはそういうものだ。〈23才・秋〉】

★・どんなに心打ち解ける相手と一緒であっても、人生には一人の時間が必要である。

・「人生について書きたいなら、まず生きなくてはならない」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【経験することでしか書けないものがある。経験していないからこそ抱ける想像がある。〈23才・秋〉】

・想像は事実に劣っていない。両者は別物である。

・「『これをやりに私は生まれてきた』と思えることだけを考えていればよい」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【人生を幸せに生きる秘訣。〈23才・秋〉】

・事実は一つではない。というのも、事実は各々の視点によってさまざまな面を見せるからである。

・「運はいろんな形をして現れる。とすれば、どうしてそれがわかるか」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【将来、人は運さえも予測できるようになる。なぜなら、自然も人も、全ては起こるべくして起こっているからである。〈23才・秋〉】

・幸せとは、不幸ではないこと。そう考えられたら、私たちはもっと幸せになれる。

・西日本の旅 2012の動画を見返すと、かつての自分の良さが見えてくる。自分がやりたいと思ったことは迷わずやればいい、聞きたいと思ったことは迷わず聞けばいい、対人関係はもっと素直に積極的にいけばよい。他人からどう思われようが関係ない。すべては自分自身の問題、変わろうと思えばすぐ変われる。だから自信を持って、失敗を恐れずに。

・23歳の今の私のテーマ「心の強さ」

・「相手を尊重し、理解する」〈ドラマ『ラブラブエイリアン』〉

・「女はたいてい褒めとけばチョロいからね」〈ドラマ『ラブラブエイリアン』〉
【男も同じさ。〈23才・秋〉】

・「男としてどうか、女としてどうかばかりで、人間としてどうかを気にしない。男女の違いを言うのみで共通する部分に目を向けようとしていない」〈ドラマ『ラブラブエイリアン』〉

・MC[司会]とゲストを入れ替えてみるように、相手にも自分の大変さを体験してもらいたいと思ったら、立場を逆転してみることを提案してみるとよい。

・「窮境の中でこそ、潔い態度を」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【悔しくて認めたくないときこそ、潔い態度を。対戦相手のファインプレーに拍手を送るのもまた潔い態度。〈23才・秋〉】

・最近の人間関係で意識していること
(1) 相手を褒めること。
(2) 自分がやりたいと思ったことは迷わずやればいい、聞きたいと思ったことは迷わず聞けばいい。対人関係はもっと素直に積極的に。
(3) 他人からどう思われようが関係ない。すべては自分自身の問題、変わろうと思えばすぐ変われる。だから自信を持って、失敗を恐れずに。

特に2と3は西日本の旅 2012の動画を観て改めて意識した。

・円満な親子関係を維持するには、第一に素直に本音で話し合う場をもつこと、第二に親しき中にも礼儀あり、自分の主張だけを押し通そうとせず相手に配慮すること。

・〈楽を知れば苦を知らず〉
ひとたび楽を知ったなら苦は忘れてしまいたいほど避けたいものになる。

・「私の狙いは、見たことや感じたことをもっともうまく単純に書くことだ」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉

★・「私は話を聞くのが好きである。注意深く聞くことで、多くを学んだ」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【話を聞く=質問の多さ。〈23才・秋〉】

・〈コミュニケーションのバランス〉
自己発信、相手発信、共感、質問、この4つのバランスをどうとるか。質問は話題を相手発信に切り替える手段である。

・反対することは新しい考えを生み出すきっかけになる。

・「誰かを信頼できるかを試すのに一番良い方法は、彼らを信頼してみることだ」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【裏切られたときのリスクが小さい場合には有効な方法だと思う。〈23才・秋〉】

・「年寄りになったからって、賢くなるわけではない」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【あなたが今何を考え、どう生きるか。〈24才・夏〉】

・「残り少ない人生なんだから遠慮なんてしてられるか」〈川淵三郎〉

・「二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【幸福は長く続かない。不幸も同様である。しかしそれらはいつも、気持ちの持ちよう次第である。〈23才・秋〉】
【なぜか。飽きが考慮されていないからだ。〈24才・夏〉】

・休憩時間を一人で過ごしたいと思う者は、自分の世界を大事にしている者だ。

・人生を悲観しない者は、人生がどれほど素晴らしいものであるかをいつも知っている。
【あなたの人生がどれほど素晴らしいものになるかは、全てあなたの考え方次第である。〈23才・秋〉】

・あくまでニュースを伝えることが主体であるニュース番組では、アナウンサーが太っていたりブサイクだったりすると視聴者はアナウンサーのほうが気になってしまいニュースに集中できない。これを雑情報というが、アナウンサーはこの雑情報を極力少なくするように指導される。この場合、綺麗な顔はブサイクな顔より雑情報が少ないということになっている。

・勝負は勝つことが大事だ。だが経験を積むには攻めることのほうがもっと大事である。攻めて負けてもそれが経験になる。

・「知的な人々の中に幸福を見いだすことは滅多にない」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉

・周りの友人は皆、人は誰かのために生きてこそ自分に価値を見い出すことができ、幸福を得ることができるという考えを持っている。しかし私は違う。私は自分の人生は誰かのためにではなく自分のために生きるべきだという考えを持っている。というのも、社会的な幸福よりも静かな愉しみに基づく幸福を優先しているからである。だから私には結婚願望はないし、思考学も社会的評価を得るためにやっているわけではなく純粋に知的好奇心の赴くままにやっている。自分の人生を誰かのために生きることは今の私には考えられない。誰かのために生きるということは、少なからず自由を犠牲にすることになるからだ。
かといって私は、結婚が必ずしも不幸になるための制度だとは思わない。たとえ恋愛感情がなくなっても、親が子を一生大切にするように、お互いが相手を大切に想う気持ちが一生消えないカップルの結婚は幸福の末路を辿るだろう。だからもし大恋愛を経てこの人と一生一緒にいたいと思ったとき、“一時の恋の盲目”に惑わされずに、その人との結婚が今後のあなたの人生において本当に後悔の無い選択になるのかをよく考える必要がある。自分のための結婚ではない。自分と自由を犠牲にしてでも相手のために生きる覚悟と、お互いが相手を大切に想う気持ちがなければ、結婚してもあなたにハッピーエンドは訪れない。

・人には逃げ道が必要である。〈誓い〉は彼の想いを強固なものにするが、彼を縛りもする。
【結婚制度について。〈23才・秋〉】

・友情とは、人生において相手を精神的に支えることである。具体的には、言いたいことを言い合って楽しみの場を作ること、すなわち心で会話できること、そして真の愛情を育んだり親友へのステップを作ること、すなわち人生の良きアドバイザーを作ることである。

・心で会話する。

・真の愛情と真の友情は同一である。

・真実でないならそれは無意味だと言う人がいる。しかし、人はみな真実に基づいて生きているわけではない。真実は誰も知らない。知りえないからか、それとも知ろうとしないからか。
【「『真実』というのは、人類にとっての真実であるということ、人間の目標や目的にとって真実という意味であることを心に留めておかなければならない。これ以外の真理はない。たとえ別の真理があるとしても、それはわれわれには関係ない。それを知ることは決してできないだろうし、無意味だろう」〈A・アドラー〉】

・「友情の基礎を作るには、まず女と恋をしなければならない」〈アーネスト・ヘミングウェイ〉
【その逆も然り。〈23才・秋〉】

・私たちは正直と嘘のバランスが崩れている。もっと正直に生きてよいのだ。

★・何を持っているかはさほど重要ではない。何を考え、何をなし得るかだ。

★・私たちは何を望んでいるのか。

・「分かる人にだけ分かってもらえればそれでよい」

23才・冬

・「人間は意味の領域に生きている。われわれは状況をそれ自体として経験することはない。いつも人間にとって意味があるものだけを経験するのである。われわれの経験は、その根源において既に、人間的な目的によって規定されている。『木』は『人間との関係における木』という意味であり、『石』は『人間の生活における要素である限りのものとしての石』という意味である。意味を排除して事実だけを考えようとする人がいれば、そのような人は非常に不幸になるだろう。自分を他者から切り離すことになり、行動は自分にも他者にも役に立たなくなり、一言でいえば、無意味になるだろう。しかし、人間は意味を離れて生きることはできない。われわれは現実を常にわれわれがそれに与える意味を通じて体験するのである。つまり、現実をそれ自体として体験するのではなく、何か解釈されたものとして体験するのである。それゆえ、この意味は、常に多かれ少なかれ、未完成、あるいは、不完全であり、それが完全に正しいということはありえない、と結論づけるのは当然である。意味の領域は、このように誤りの領域である」〈A・アドラー〉

・「われわれが何をしても、われわれの行為は人間生活の状況へのわれわれ自身の答えである。それらは、われわれが何を必要なもの、適切なもの、可能なもの、そして望ましいものと考えているかを明らかにする」〈A・アドラー〉

・「われわれのまわりには他者がいる。そしてわれわれは他者と結びついて生きている。人間は、個人としては弱く限界があるので、一人では自分の目標を達成することはできない。もしも一人で生き、問題に一人で対処しようとすれば、滅びてしまうだろう。自分自身の生を続けることもできないし、人類の生も続けることはできないだろう。そこで、人は、弱さ、欠点、限界のために、いつも他者と結びついているのである。自分自身の幸福と人類の幸福のためにもっとも貢献するのは〈共同体感覚〉である。それゆえ、人生の問題へのすべての答えはこの結びつきを考慮に入れなければならない。それはわれわれが他者と結びついて生きているということ、もしも一人であれば滅びるであろうという事実に照らした答えでなければならない」〈A・アドラー〉

・「個人心理学は、人間のすべての問題は、この三つの問題、即ち、仕事、対人関係、性に分けられる。各人がこの三つの問題にどう反応するかによって、各人はまぎれもなく、人生の意味についての自分自身の個人的な解釈を明らかにする。例えば、性生活が不完全な人、仕事で努力しない人、あるいは、友人がほとんどいなくて仲間と接触することを苦痛だと思うような人を仮定しよう。そのような人は、人生において自分自身によって課せられた限界と制限から、生きていることを好機がほとんどなく失敗ばかりの困難で危険なことと見ている、と結論づけてよい。そのような人の行動範囲が狭いことは、次のような考えを表現していると解釈できる。『人生は、危害に対してバリケードで自分を守り、無傷で逃れることによって自分自身を守ることである』。他方、次のような人を観察すると仮定しよう。その人は親密で協力に満ちた愛の関係を持っており、仕事は有益な成果へと結実し、友人は多く、人との結びつきは広く豊かである。このような人は、人生に多くの好機を提供し、取り消しのできない失敗をもたらすことがない創造的な課題と見ている、と結論づけてよい。その人の人生のすべての課題に直面する勇気は次のようにいっていると解釈できる。『人生は仲間に関心を持ち、全体の一部であり、人類の幸福に貢献することである』。」〈A・アドラー〉

・「ある小さな宗教団体の話である。ある日、預言者が、信者たちを集めて、来週の水曜日、この世界は終わる、といった。信者たちは、非常に驚き、持ち物を売り払い、仕事を辞め、興奮して、その日がくるのを待った。ところが、水曜日は何事もなく過ぎてしまった。木曜日に、説明を求めて信者たちがやってきた。『あなたのおかげでひどい目にあいました。何もかも捨てたのです。会う人ごとに水曜日に世界が終わる、といいました。みんな私たちのことを笑いました。でも、へこたれることなく、誤ることがない権威から聞いたのだ、といいました。でも、水曜日が過ぎたのに、世界はまだあるではありませんか』。これを聞いて預言者はいった。『だが、私の水曜日はお前たちの水曜日ではないのだ』。このようにして、預言者は私的な意味によって批判から身を守った。というのは、私的な意味は検証されないからである」〈A・アドラー〉

・「人生の意味は、他者の人生への貢献にある」〈A・アドラー〉

・どちらも認めるならば、競い合うのは無意味である。
【競争のメリットは切磋琢磨・エンターテイメント性、デメリットは競争の過熱による嫉妬・憎悪・自己嫌悪の発生である。したがって競争も程度の問題であって、一概に無意味だと言えるわけではない。問題なのは、その程度を私たち自身が自覚でき、それを途中でやめることができるかどうかだ。〈24才・夏〉】

・「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック――いわゆるトラウマ――に苦しむのではなく、経験の中から目的に適うものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである。そこで、特定の経験を将来の人生のための基礎と考える時、おそらく、何らかの過ちをしているのである。意味は状況によって決定されるのではない。われわれが状況に与える意味によって、自らを決定するのである」〈A・アドラー〉

・「利他的で無私な愛情に代わりうるいかなる経験もない。母親のもっとも重要な課題は、子どもに信頼できる『他者』を最初に経験させることである。母親は、後に、この信頼感を広げ、ついには、子どもの環境のすべてを含むまでにしなければならない。もしも、母親が、この最初の課題、つまり、子どもの関心、愛情、協力を得ることに失敗すれば、子どもが、共同体感覚、まわりの人と結びついているという感覚を発達させることは非常に困難になるだろう。誰もが他者に関心を持つ能力を持っている。しかし、この能力は訓練され、鍛えられなければならない。さもなければ、その発達は遅れるだろう」〈A・アドラー〉

・器官劣等性[発達障害]のある子ども、甘やかしを受けた子ども、無視をされた子どもは、人生の意味が他者への貢献と思うことができず、閉鎖的な自己嫌悪に陥るケースが多い。
【参考:A・アドラー。/「甘やかされた子どもは、自分のことだけに関心を持つことを学んできたので、一緒に学校で学ぶ他の子どもたちに関心を持たない。勉強には関心を持つけれども、教師からほめられると思っている限りにおいてである。自分に有利だと思うことだけを聞く」〈A・アドラー〉】

・「どんな記憶も、それがどれほど取るに足らないものに思えても、定義上、その人にとって何か記憶すべきものだからであり、それが記憶すべきであるのは、人が思い浮かべている人生に関係があるからである。すべての記憶は選ばれた合図である」〈A・アドラー〉

・「人が人生に与える意味を見出しそれを理解するとすぐにパーソナリティの全体についての鍵を持つことになる。人間の性格を変えることはできないといわれることがある。しかし、このように考えるのは、状況を理解する鍵を見つけたことがない人だけである」〈A・アドラー〉

・「私たちは自分で人生を作っていかなければならない。それは、私たち自身の課題であり、それを行うことができる。私たちは自分自身の行動の主人である。何か新しいことがなされなければならない、あるいは、何か古いことの代わりを見つけなければならないのであれば、私たち自身にしかできない」〈A・アドラー〉

・「感覚をたしかに君は持っている。さもなければ、動くことはない」〈ハムレット 第三幕第四場〉

・「人は動く。その動きには意味がある。心理学の目的は、個人のあらゆる表現の意味を探求し、その目標についての手がかりを見出し、それを他の人の目標と比べることである」〈A・アドラー〉

・「困難は成功へ向かう途上での超えられるべきハードルにすぎない」〈A・アドラー〉

・「強い罪悪感から逃れられない人がいた。彼は第二子だった。父親も兄たちも正直であることを重んじた。七歳の時、学校の教師に、宿題を自分でした、といった。実際には、兄が彼のためにしたのだった。少年は三年間罪悪感を隠した。ついに彼は教師のところにいってひどい嘘をついた、と告白した。教師は、ただ笑っただけだった。次に、父親のところへ行って、涙ながらに、二度目の告白をした。今度は、教師の時よりも成功した。父親は、少年が真実を愛していることを誇りに思い、彼をほめ慰めたのである。しかし、父親が彼を許したにもかかわらず、少年は、落ち込み続けた。この少年はこのような取るに足らない不品行のために、激しく自分を責めることで、自分の正直さと実直さを証明することに関心があった、と結論づけないわけにはいかない。彼の家庭の高い道徳的な雰囲気が、正直さにおいて秀でるという刺激を彼に与えたのだった。彼の罪悪感は、他の人よりも、自分を正直に見せるための手段だった。そして、これによって、優越性を達成しようとした」〈A・アドラー〉

・世界を変える必要はない。自分が変わればいいのだ。

・「たずねる必要はない。人の行動を観察さえすればいい」〈A・アドラー〉

・「傲慢な人を見れば、その人は、こんなふうに感じている、と推測できる。『他の人は私を見下しがちだ。私が重要な人であることを見せなければならない』。もしも話す時に身振りが大きければ、次のように感じていると推測できる。『私の言葉は強調しなければ、重みを持たない』。他の人よりも優れているかのようにふるまうあらゆるすべての人の背後に、隠すために特別の努力を要するような劣等感を疑うことができる。背が低い人が、自分を大きく見せるために、つま先で歩くかのようである。しかし一方で、強い劣等感を持った人が、従順で、静かで、控えめで、目立たない種類の人に見えることはない」〈A・アドラー〉

・「劣等感は無数の仕方で表現される。動物園に足を踏み入れた三人の子どもたちの逸話によって、このことを明らかにすることができる。ライオンの檻の前に立った時に、彼らの一人は、母親のスカートの後ろに隠れて『家に帰りたい』といった。二人目の子どもは、その場に立っていたが、顔は非常に青ざめ、震えていた。そして『少しも怖くなんかない』といった。三人目の子どもはきっとライオンをにらんで母親にたずねた。『唾を引っかけてもいい?』。この三人の子どもたちは実際には、怖かったのだが、自分のやり方で、ライフスタイルに合致した仕方で、その感情を表現したのである」〈A・アドラー〉

・「われわれは皆、ある程度は、劣等感を持っている。向上したいと思う状況にいるからである。勇気をくじかれ、現実的な努力をすれば状況を変えられると想像できない人を仮定してみよう。彼らは劣等感を取り除こうと努めるだろう。しかし、試みられる方法は、少しも彼を前に進めない。彼の目標は、依然として『困難に負けないこと』であるが、障害を克服する代わりに、優れていると〈感じる〉ように自分を説得し、さらには、強いることを試みるだろう。そうこうする間に劣等感は強くなる。なぜなら、劣等感を生み出す状況は何も変わってはいないからである。根本的な原因はそのままなのだから、彼が踏むあらゆるステップはさらに自己欺瞞へと導き、すべての問題は、いよいよ、大きな緊急性を持って彼にのしかかることになるだろう。いばりちらして支配するか、あるいは、泣き言をいって支配するかは、受けた教育次第である。泣くことで、もっとも自分の思うとおりのことができると思う子どもは、泣き虫になるだろう。つまり、自分の目的のためにもっとも有効だと思った方法を選ぶだろう。時には、一つの方法に満足しなければ、別の方法を試みるだろう。どちらの場合も目標は同じである。即ち、状況を改善するために何もしないで優越感を得ることである」〈A・アドラー〉

・「劣等感はそれ自体では異常ではない。それは人類のあらゆる進歩の原因である。例えば、科学の進歩は、人が無知であることと、将来のために備えることが必要であることを意識している時にだけ可能である。それは人間の運命を改善し、宇宙についてもっと多くのことを知り、宇宙をよりよく制御しようとする努力の結果である。公平無私な観察者が、われわれの惑星を訪問することを想像すれば、きっと次のように結論づけるだろう。『あらゆる組織と制度、安全を求める努力、雨をしのぐ屋根、身体を温める服、通行を容易にする道を持ったこの人間は、明らかに、自分が地球上でもっとも弱い生き物であると感じている』」〈A・アドラー〉
【私たちは劣等感を持っていることを否定したり隠したりすべきではない。それを素直に受け止め、さらなる努力と進歩の源にすべきである。〈24才・夏〉】

・「われわれの人生への関心は、もっぱらわれわれの不確実さからくる」〈A・アドラー〉
【不確実さ=劣等感の自認。〈24才・夏〉】

・A・アドラーは人が過去の人生について早期に思い出される出来事や記憶の叙述、いわゆる「早期回想」が、その人の人生の価値観や劣等コンプレックスをさまざまな形で表現すると考えた。したがって、この早期回想を知ることは、彼がどういう人なのかを理解することだということである。

・【早期回想】〈A・アドラー〉
(1) 「私の妹が……」
まわりの世界の誰が早期回想に登場するかに気づくことが重要である。妹が登場すれば、その人が妹に影響を受けたことを確信できる。妹は、他の子どもの成長に影を落とすことになったのである。概して、二人のきょうだいの間には、競争をしているようにライバル関係が見られる。このことはさらなる困難をもたらすことになる。子どもが競争関係に関わっていれば、友好的に協力している時ほどには、他者への関心を事実上広げることはできない。しかし、結論に飛びついてはならない。ひょっとしたら、二人の子どもたちは仲がいいかもしれないのである。
「妹と私は家族の中で一番年が下でしたから、私は妹が学校に行けるようになるまで学校に行くことを許されませんでした」
ライバル関係がはっきりとする。「妹が私の邪魔をした! 妹は私よりも年下だったが、私は彼女を待つことを強いられた。妹は私の機会を制限した!」。もしもこれがまさに回想の意味であれば、この少女あるいは少年が次のように感じることが予想できる。「誰かが私を制限し、私が自由に成長することを妨げる時が、私の人生における最大の危機である」。(早期回想を)書いている人は、おそらく少女である。少年が妹が学校に行けるようになるまで待たされることは、あまりありそうにないと思われる。
「したがって、私たちは同じ日に始めました」
これは、彼女の立場にある少女にとって、最善の育て方と私たちは見なさないだろう。年長なので、後に残らなければならないという印象を与えるかもしれない。いずれにしても、他ならぬこの少女はこの意味で解釈したことがわかる。妹がひいきにされ、自分は無視された、と感じている。このように無視されたことで誰かを責めるだろう。その誰かとはおそらく母親だろう。父親の方を好み、父親に気に入られようとしても、驚くべきではない。
「私たちが初めて学校に行った日に、母がどんなに寂しかったかと皆に話したことをはっきりと覚えています。母はいいました。『あの午後、私は何度も門のところへ行って、娘たちを探した。もう二度と戻ってこないのではないか、と思った』」
これは、母親についての叙述である。母親があまり知的な仕方でふるまっていないことが示されている。これはこの少女による母親の描写である。「もう二度と戻ってこないのではないか、と思った」。母親は、明らかに、非常に愛情深い人だったのである。しかし、同時に、心配症で緊張する人だった。この少女と話すことができれば、母親が妹の方を好んだことについてもっと話すだろう。このようなひいきはわれわれを驚かせないだろう。なぜなら、末っ子はほとんどいつも甘やかされるからである。私はこの回想から、二人の姉妹のうちの姉は、妹との競争関係によって妨げられたと感じた、と結論づけるだろう。後の人生で、嫉妬と競争を怖れる兆候を見出すことが予想できるだろう。自分よりも若い女性を嫌うことを見ることになっても驚かないだろう。生涯を通じてずっと、自分はあまりに年をとりすぎている、と感じる人がいる。そして、多くの嫉妬深い女性は、自分より若い女性に劣っている、と感じている。
(2) 「私の早期回想は、祖父の葬式です。私は三歳でした」
これは少女が書いている。死が彼女に強い影響を与えた。これは何を意味するだろう。彼女は、死を人生における最大の不安、最大の危険と見たのである。子ども時代の彼女に起こった出来事から、彼女は「祖父も死ぬ」と推論した。おそらく、彼女が祖父のお気に入りであり、祖父が彼女を甘やかしたということを見ることになるだろう。祖父母は、大抵いつも、孫を甘やかす。祖父母には両親ほど責任はなく、しばしば子どもたちを自分たちに愛着させ、今でも愛情を得ることができることを見せたいのである。われわれの文化においては、老人は自分の価値を確信することが容易ではない。そこで、時に、このことを安直な手段、例えば、不平をいうことで確信しようとする。ここで、祖父が少女を赤ん坊の時に甘やかしたということ、祖父が甘やかせたので、彼女の回想の中に深くとどまることになった、と考えてみたくなる。祖父の死は、彼女にとっては、大きな痛手だった。召使とその協力者がいなくなったのである。
「棺桶の中の祖父を見たことをはっきりと覚えています。静かに白い顔をして横たわっていました」
私は、三歳の子どもに死者を見せることがいい考えであるとは確信できない。あらかじめ(死に対して)準備がされていなければなおさらである。多くの子どもたちが、死んだ人を見て強い印象を受け忘れることができなかった、と私に話してくれた。この少女も忘れていなかった。このような子どもたちは、死の怖れを少なくするか、あるいは、克服しようと努める。しばしば、彼らの野心は、医師になることである。医師は、他の人よりも、死と闘うことに訓練されている、と感じるのである。医師が早期回想をたずねられたら、それには、しばしば死についての何らかの回想を含んでいるだろう。「静かに白い顔をして横たわっていました」――これは何か見られたものの回想である。おそらく、この少女は、世界を見ることに関心がある視覚タイプである。
「それからお葬式で、棺桶が下ろされた時、私はざらざらした箱の下から引っ張り出された紐を思い出します」
また彼女は見たものを話している。このことから彼女が視覚タイプであることを確かめることができる。
「この経験は、親戚、友人、あるいは知人で、あの世へと行った人のことが話される時は、いつも怖いという感覚を残したように思います」
またもや、死が彼女に与えた強い印象を見ることができる。彼女に話しかける機会があれば、私はたずねるだろう。「大人になったら何になりたい?」と。おそらく、「医師」という答えが返ってくるだろう。もしも答えなかったり、答えることを避けたりすれば、私は提案するだろう。「医師か看護師になりたくない?」。彼女が「あの世」に言及する時、死の怖れを克服する補償の一つのタイプを見ることができる。全体としての彼女の回想から学んだことは、祖父は彼女に対して優しかったこと、そして、死が、彼女の心の中では大きな役割を演じているということである。彼女が人生から引き出した意味は「われわれは皆死ななければならない」というものである。これは無論本当だが、誰もがこのことにとらわれているわけではないのである。心を占めることができる関心は他にもある。
(3) 「三歳の時、父が……」
最初から、父親が、突然現れる。この少女は、母親よりも父親に関心があった、と仮定できる。父親への関心は、常に、成長の第二段階である。子どもは、最初は、母親により関心がある。なぜなら、最初の一、二年は、母親との協力は非常に緊密だからである。子どもは、母親を必要とし、母親に結びつけられる。子供の心の追求はすべて母親と結びついている。もしも子どもが父親に向かえば、母親は負けたのである。子どもは、自分の状況に満足していない。これは、一般に、弟か妹が誕生したことの結果である。この回想の中に、弟か妹の話が出てきたら、われわれの推測は確かめられるだろう。
「父が私たちに二頭のポニーを買ってくれました」
子どもが一人ではないことがわかる。もう一人のことが出てくるか興味がある。
「端綱で家に連れてきました。三歳年上の姉は……」
われわれの解釈を変えなければならない。われわれは、この少女が姉だと予想していたのだが、妹であることがわかった。おそらく姉は母親のお気に入りだったのである。これが、少女が父親と二頭のポニーのプレゼントに言及した理由である。
「姉は、一方のロープを手にとって、誇らしげに通りをポニーを連れて歩きました」。ここは姉の勝利がある。「私のポニーはもう一頭のポニーを急いで追いかけて行き、私には追いつけないほど早く歩きました」――これは姉がリードしたことの結果である――「そして、私を引っ張ったのでした」。姉が勝利し、点数を稼いだのである。この少女がいっているのは、次のような意味であることを確信できる。「注意しなければ、姉がいつも勝つだろう。私はいつも負けている。私はいつも泥の中にいる。安全になる唯一の方法は、一番になることだ」。また、姉が勝利し、母親についたことも理解できる。これが妹が父親の方に向かったことの理由である。
「私が後に姉よりも上手に馬に乗れるようになったことは、この時の失望を少しも和らげませんでした」。われわれの仮定はすべて確かめられた。二人の姉妹の間で行われた競争を見ることができる。妹は感じた。「私はいつも後れを取っている。追い越さなければならない。他の人を追い抜かなければならない」。これは、私が以前に叙述したタイプであり、第二子や末子に非常によく見られる。このような子どもたちは、いつも兄か姉をペースメーカーとして持っており、いつも追いつこうと努めている。この少女の回想は、彼女の態度を強化する。それは彼女にこういっているのである。「もしも誰かが私より前にいれば、私は危険に曝される。いつも先頭でなければならない」
(4) 「私の早期回想は、姉にパーティや他の社交的な行事に連れて行かれたというものです。姉は、私が生まれた時、十八歳でした」
この少女は、社会の一員として自分を思い出している。おそらく、この回想には、他の人よりも高い程度の協力が見つかるだろう。十八歳年上の姉は、彼女にとっては母親のような存在で、彼女をもっとも甘やかしたに違いない。しかし、姉は、子どもだった妹の関心を非常に知的な方法で広めたように思われる。
「私が生まれるまでは、姉は四人の男の子の家庭の中でただ一人の女の子だったので、当然、私を見せびらかすことを喜びました」。これは私たちが思っていたほどあまりよいことには聞こえない。子どもが「見せびらかされる」時、子どもは、社会に貢献する代わりに、社会に賞賛されることに関心をもつようになるかもしれない。「だから姉は、私をかなり小さい時からあちこちに連れていってくれました。このようなパーティで私が覚えているただ一つのことは、何かいうように絶え間なく促されたことです。『あのご婦人に名前をいいなさい』というようなことです」。これは間違った教育の方法である――この少女が吃音[きつおん]や、他の話す困難があっても驚くべきではない。子どもがどもる時は、それは、通常、話すことがあまりに強調されたからである。自然にストレスなしに他の人とコミュニケーションを取る代わりに、自分を意識し、賞賛を求めるように教育されたのである。
「私がまた思い出せるのは、何も話そうとはせず、家に帰ると叱られたことです。それで、私は、出かけていって人に会うことが嫌いになりました」。われわれは解釈をすっかり変えなければならない。今や、最初の回想の背後にある意味は「私は他の人と結びつくようにされたが、私はそれが不快だった。この経験のために、協力することを嫌うようになった」というものであることがわかる。それゆえ、彼女が今も人と会うことが嫌いであるということが予期できるはずである。彼女は、他の人と一緒であれば、目立つことを期待されている、と信じ、彼女にそれを期待するのはあまりに荷が重いと感じているので、困惑し、自意識が強くなることが期待できる。仲間の間での安堵感や対等感から離れるようになったのである。
(5) 「私が小さかった時の大きな出来事を今もよく覚えています。四歳頃だった時に、祖母が私たちのところへやってきたのです」
祖母は、通常、孫を甘やかすことを私たちは見てきた。しかし、今までのところでは、祖母が孫たちをどのように扱っているかはわからない。「私たちのところにきている間に、私たちは四世代で写真を撮りました」。この少女は、家系に非常に関心を持っている。祖母の訪問とその時撮った写真のことを非常に鮮やかに覚えているので、おそらく、彼女は家庭と結びついている、と結論づけることができる。われわれが正しければ、彼女の協力する能力が、家族の範囲を超えていないことを見つけるだろう。
「別の街へ行って、着いた後、写真屋さんで白い刺繍の付いた服に着替えさせられたことをはっきりと覚えています」。おそらく、この少女も、視覚タイプである。「四世代の写真を撮る前に、弟と私が写真を撮ってもらいました」。ここにも、家族への関心を見る。弟は家族の一員であり、おそらく、弟との関係について、もっと多くのことを聞くことになるだろう。「弟は、私の横で肘掛けにすわらされ、真っ赤なボールを持たされました」。今や、この少女の主たる闘いがわかる。彼女は、弟の方が自分よりも好まれている、と自分にいっているのである。彼女は弟が生まれ、末っ子として甘やかされるという地位を奪われたことが気に入らなかった、と推測できるかもしれない。「私たちは笑うようにいわれた」。これは、彼女にとって、次のことを意味する。「私を笑わせようとするが、何を笑うというの。弟を王座につけ、真っ赤なボールを渡したのに、私には何をくれたというの」
「それから四世代で写真を撮りました。私以外の皆はよく写ろうとしました。私は笑うのを拒みました」。彼女は、家族に対して攻撃的である。家族は、彼女に十分親切ではないからである。この最初の回想において、彼女は、彼女の家族がどんなふうに彼女を扱ったかを伝えるのを忘れていない。
「弟は、笑うようにいわれた時、とてもすてきに笑いました。とってもかわいかったです。この日から、私は、写真を撮られるのが大嫌いです」。このような回想は、私たちの多くが、人生に立ち向かう方法についての優れた洞察をわれわれに与える。われわれは一つの印象を取り上げて、それをすべての行動を正当化するために使うのである。われわれはそこから結論を引き出し、その結論が論破できない事実であるかのように行動する。彼女がこの写真を撮った時に、不快だったのは明らかである。今も、写真を撮られるのを嫌っている。何かをこれだけ嫌いな人は誰でも、その嫌いなことを正当化し、説明全体の重みに耐える何かを経験の中から選び出す。この最初の回想は、これを書いた人のパーソナリティについての二つの主たる手がかりをわれわれに与えてくれた。一つは、彼女が視覚タイプであるということ。もう一つは、そしてより重要なのだが、彼女が家族に結びついているということである。彼女の最初の回想の唯一の行動は、彼女の家族の枠の中に置かれている。彼女は、おそらく、社会生活に適応していないのである。
(6) 「私の早期回想の一つは、一番最初のものではないとしても、私が三歳半の時に起こった出来事です。私の両親のところで働いていた少女が、私のいとこと私を地下室へ連れて行き、りんご酒を飲ませたのです。私たちは、それを大変気に入りました」
地下室があって、その中にりんご酒があることを発見するというのは興味深い経験である。これは探検の旅だった。この段階で結論を引き出さないといけないとすれば、次の二つのことの一つを推測するかもしれない。おそらく、この少女は、新しい経験を楽しむのであり、人生へのアプローチにおいて勇敢である。他方、おそらく、われわれを騙して迷わせる、より強い人がいるということを意味している。回想の残りがどちらなのかを決める手助けになる。「少し後で私たちはまた飲みたくなって、飲もうとしました」。これは勇気のある少女である。彼女は自立したいと思っている。
「やがて、足の力が抜け、歩けなくなりました。そして、りんご酒を全部床にこぼした時、地下室はじめじめしました」。ここで、われわれは、酒類醸造販売禁止主義者の誕生を見る。
「私は、この出来事が、りんご酒や他のアルコール類が嫌いなことと何か関係があるのかはわかりません」。またもや、一つの小さな出来事が人生への態度全般の理由とされている。それを常識的に見れば、その出来事はこのような結論を導くには十分重要には見えない。しかし、この少女は、ひそかに、それをアルコール飲料が嫌いなことの十分な理由にしたのである。おそらく、彼女は、誤りから学ぶ仕方を知っている人であることを見るだろう。おそらく、非常に自立していて、間違っていれば自分を正すことが好きなのである。この傾向は、彼女の人生全体を特徴づけるかもしれない。あたかも、次のようにいっているかのようである。「私は間違うかもしれない。でも、間違いがあることがわかればそれを訂正する」。そうであれば、彼女は、非常にいい性格であることになる。活動的で努力し勇気があり、いつも自分と状況を向上させ、有用でよい人生を送りたいと思っている。

・「人は、夢を見る時に、眠りの中で問題を解決することを希望している」〈A・アドラー〉
【問題を解決することを希望する[=期待]=欲求不満の解決。〈23才・冬〉】

・「人は、しばしば、左右、男女、寒暖、軽量、強弱は矛盾するものだと信じている。科学的な見地からは、それらは矛盾ではなく差異である」〈A・アドラー〉

・「夢の目的は、夢を見る人のライフスタイル[価値観]を支持、強化し、それにもっともふさわしい感情を喚起することである。しかし、なぜライフスタイルは支えられることが必要なのか。一体、何がそれを脅かすというのだろう。それは、現実とコモンセンスからだけ攻撃される。それゆえ、夢の目的は、コモンセンスの要求に対して、ライフスタイルを守ることである。もしコモンセンスに従って解決したくはない問題に直面していれば、その態度は夢の中で喚起される感情によって強めることができる。夢を見ることは、コモンセンスに敵対することである」〈A・アドラー〉

・〈夢における象徴と隠喩〉
「学生が試験に直面している。問題は簡単で、勇気とコモンセンスを持ってそれにアプローチするべきである。しかし、逃げることがライフスタイルであれば、戦争で闘っている夢を見るかもしれない。彼〔女〕はこの簡単な問題を比喩的に描く。そして、怖れることがずっと正当化される、と感じる。あるいは、深淵の淵に立ち、落ちることを避けるために、走って後戻りしなければならないという夢を見る。彼〔女〕は、回避する手段、一種の現実逃避としてこのような感情を創り出さなければならない。そして、試験を深淵と同一視することで自分を欺く。同様に、夢でしばしば用いられる別の策略を明らかにすることができる。それは、問題を取り上げもともとの問題のエッセンスだけが残るまで、それを還元し煮詰めることである。そうすると、残ったものは比喩の中で表現され、あたかもそれが元々の問題と同じであるかのように扱われる。
例えば、別のもっと勇気があり、より長い人生の見通しを持った学生は、自分の仕事を終え、試験をやりとげたいと思う。しかし、それでも支えが必要であり、自分を元気づけたいと思う――ライフスタイルが、それを要求するのである。試験の前夜、山の頂上に立っている夢を見る。彼〔女〕が置かれている状況の像は非常に単純化されている。彼〔女〕の人生のあらゆる状況のもっとも小さな部分だけが表されている。彼にとって、試験の問題は大きなものであるが、その多くの面を排除し、成功するという見通しにだけ集中することによって、自分を助ける感情を喚起するのである。翌朝、彼〔女〕は、以前よりも幸福に、さわやかに、勇気に満ちて目覚める。しかし、自分を元気づけたいという事実にもかかわらず、実際には、自分を欺いている。コモンセンスの方法では、問題全体に直面せず、単に自信という気分をかき立てただけである」〈A・アドラー〉

・「性格の発達においては、固定した原因はなく、子どもが目標を得るために経験を使い、それを人生についての見方の根拠にすることができるのである。例えば、子どもの栄養状態が悪ければ、そのような子どもが犯罪者になるということはできない。子どもが、自分の経験からどんな結論を引き出したかを見なければならない」〈A・アドラー〉

・「母性の欲求は、実際、人間の優越性追求、神に似るという人間の目標の一つの側面である。それは、われわれに、この目標がいかに人類と深い共同体感覚に一致した他者への関心のために用いられるかという、もっともはっきりした例をわれわれに与える」〈A・アドラー〉

・「もしも母親が子どもたちとの結びつきだけを考えるのなら、子どもを甘やかしてだめにすることを避けることはできないだろう。そのような母親は子どもたちが自立心と他者と協力する能力を発達させることを困難にするだろう。子どもたちと結びつくことに成功した後は、母親の次の課題は、子どもの関心を父親を含めてまで広げることである。この課題は、母親が父親に関心を持っていなければ、ほとんど不可能であることがわかるだろう。母親は子どもの関心を社会環境、つまり、家族の中の他の子どもたち、友人、親戚、仲間の人間全般へも向けなければならない。母親は、子どもに信頼に値する仲間の人間の最初の経験を子どもに与えなければならない。それから、この信頼と友情をそれが人間社会の全体を含むところまで広げる準備ができていなければならない。
もしも母親が子どもが自分だけに関心をもつようにさせていれば、子どもは、後に他者に感心を持たせようとするあらゆる試みに腹を立てるだろう。子どもは、常に母親からの支えを探し、母親の注目を競っていると子どもがみなす人であれば誰にも敵意を感じるだろう。
母親が、夫や家族の他の子どもたちに示すどんな関心も、剥奪と感じられるだろう。そして子どもは『私の母は、私に属しているのであって、他の誰にも属していない』という見解を発展させるだろう」〈A・アドラー〉

・「大体において、現代の心理学者たちは状況を誤解してきた。例えばエディプス・コンプレックスというフロイトの理論においては、少年は母と恋に落ち、母親と結婚したいと思い、父親を憎み、殺したいと思う傾向を持っている、と仮定されている。このような誤りは、もしもわれわれが子どもたちの発達を理解していれば、決して起こり得ないだろう。エディプス・コンプレックスは、母親の注目の中心になって、他のすべての人を排除することを願う子どもにはっきりと現れるだろう。このような欲求は性的なものではない。それは、母親を従属させ、完全にコントロール下に置き、自分の奉仕者にさせたいという欲求である」〈A・アドラー〉

・「協力と愛は決して力によっては得られない」〈A・アドラー〉

・「結婚は、互いの幸福、子どもたちの幸福、社会の幸福のための二人のパートナーシップであるべきである。もしもこれらのどの点であれ失敗すれば、結婚は人生の要求を満たすことはできない」〈A・アドラー〉

・「誰も批判されたくない。しかし、もしも批判から逃れることを人生の主たる関心にすれば、社会との関連のすべてが影響を受ける。あらゆる出来事を見る時に、それを『私は征服者か、あるいは征服されるのか』という見地から判断する。他者とのあらゆる関係を、潜在的な敗北、あるいは、勝利と見る人にとっては、いかなる仲間としての関係も可能ではない」〈A・アドラー〉

・「よき結婚においては、父親が稼ぐという事実は家庭における分業の結果にすぎない。多くの父親は、自分の経済的な立場を、世帯を支配するための手段として使っている。家庭に支配者はいるべきではない。そして、不平等の感覚を創り出すあらゆる機会が避けられるべきである」〈A・アドラー〉

・「夫は妻にとっての仲間でなければならない。そして、妻を喜ばせることを喜びにしなければならない。二人のパートナーが、自分たちの共同の幸福を自分だけの幸福よりも高く位置づける時にだけ、真の協力は生じる。各々のパートナーは、自分自身よりも相手により関心を持たなければならない」〈A・アドラー〉
【「夫は妻にとっての仲間でなければならない。そして、妻を喜ばせることを喜びにしなければならない」。これは逆も然りである。〈24才・夏〉】

・「家族の中では権威は不必要だが、真の協力はなければならない。父親と母親は共に働かなければならず、子どもたちの教育に関するすべてのことについて合意しなければならない。父親も母親も、子どもたちの間でえこひいきを見せるべきではないことは、非常に重要である。えこひいきの危険は、いくら強調してもしすぎることはない。子ども時代のほとんどすべての勇気くじきは、他の誰かがひいきされているという感覚から生じている。時には、この感覚はまったく正当でないこともあるが、真の平等があるところには、そのような感覚が生じるはずもない。少年が少女よりもひいきされるところでは、少女の間の劣等コンプレックスはほとんど避けることができない。子どもたちは、非常に敏感で非常に優秀な子どもでも、他の子どもがひいきされているという疑いから、人生において誤った道を歩むこともありうる。
時には、子どもたちの一人が、他の子どもたちよりも早く、あるいは、より好ましい仕方で成長する。この場合、この子どもにより愛情をそそがないことは困難である。親はどんなものであれ、このようなひいきを見せることを避けるに十分な経験があり、習熟しているべきである。さもなければ、よくよく成長する子どもは、他のすべての子どもに影を落とし勇気をくじくだろう。他の子どもは、よりよく成長する子どもを妬み、自分自身の能力を疑い、協力する能力は阻まれるだろう」〈A・アドラー〉

・「子どもの成長を若い木の成長と比べてみよう。一群の木が一緒に育っていても、それの一つ一つは、実際には、非常に異なった状況の中にある。もしも一つの木が、太陽と土により恵まれて早く育てば、その木の発達は、他のすべての木の成長に大きな影響をもたらす。それは他の木に影を落とす。根は伸び、他の木の栄養を奪い取る。他の木は、成長を妨げられ大きくならない。同じことは、きょうだいの中の一人だけが優秀である家庭にも当てはまる」〈A・アドラー〉

・シリアスな話をすることが多い真面目な人は、時にユーモアを交えると相手との距離が縮まりやすい。

・〈相手との会話において相手を知ることについての意識〉
相手の言ったことに自分がどう答えるかよりも、なぜ相手はそれを言ったのか、相手の言ったこと、あるいは彼の反応によってどんな心理が読み取れるかを考えることである。

・子どもに何かを取り組ませるときは、第一に関心をもたせること、そして子ども自身が自分に価値があると感じられるように取り計らうことが重要である。

・「知的能力の発達のもっとも強い要素は関心である。そして、われわれは関心が、遺伝によってではなく、勇気をくじかれたことと失敗を怖れることによって、いかにブロックされているかを見てきた。脳の実際の構造がある程度遺伝されるというのは疑いもなく本当であるが、脳は心の道具であって、起源ではない。そして、どんな障害も、もしもわれわれの現在の知識で克服できないほど重くなければ、脳はそれを補償するよう訓練されうる。われわれは、非常に例外的な程度の能力の背後に、例外的な遺伝ではなく、持続された関心と訓練を見出すだろう」〈A・アドラー〉

・子どもの誤りを正すとき、子どもを責めてはいけない。子どもの考え方を理解するために子どもと友好的に話し合う必要がある。もしも子どもの特定の誤りについて言及するのであれば、それを仮定のケースとして示し、子どもの考えをたずねる。
【参考:A・アドラー。〈24才・夏〉】

・〈思春期の心理的次元〉
「思春期は、ほとんどすべての若者にとって、他の何にもまして一つのことを意味する。もはや子どもではないことを証明しなければならないということである。子どもは自分が成熟したことを証明しなければならないと感じたとき、必ず自分の主張を過度に強調するだろう」〈A・アドラー〉
・「子どもは、思春期の間、しばしばより多くの自由と自立を与えられる。親はもはや子どもを監視し、守る権利はない、と感じる。しかし、もしも親が監視を続ければ、子どもは、親のコントロールから逃れるために、いよいよ努力する。親が、まだ子どもであると証明しようとすればするほど、そうではないことを証明するためにますます闘うだろう。そしてこの闘いから敵対する態度が発達するだろう」〈A・アドラー〉

・「われわれは皆、困難を克服したいと思う。われわれは、将来の目標に到達しようと努める。その目標を達成することは、われわれが強く、優越し、完全であると感じる助けとなるだろう。この傾向が安全の追求として言及されたのは、非常に適切なことだった。それを自己保存の欲求と呼ぶ人もあるが、それにどんな名前をつけようと、われわれは、すべての人間の中に、人の人生を通じて流れているこの主要なテーマ――劣等の位置から優越した位置へ、敗北から勝利、下から上へと上昇する闘いを常に見出すだろう。それは、われわれのもっとも早い子ども時代から始まりわれわれの人生の最後まで続く。人生は、障害を乗り越え、困難を克服しようとして、この宇宙の殻の上で存在し続けることを意味する。」〈A・アドラー〉
【アドラーは続ける。「それゆえ、まさにこの哲学を犯罪者の中に見出しても驚くには当たらない。犯罪者は、すべての行動と態度において、自分が優越し、問題を解決し、困難を克服する努力をしていることを見せる」】

・「母親は子どもの関心の範囲を広げる方法、それを広げ、ついには、他者に感心を持つようにする方法を理解していなければならない。子どもが人類の全体と自分自身の未来の人生に感心を持つことができるような仕方でふるまわなければならない。しかし、母親は、おそらく、子どもが他の誰かに感心を持つことを望まない。おそらく、結婚が幸せではないのである。両親がうまくやっていない。おそらく、離婚を考えているか、あるいは、お互いを嫉妬している。それゆえ、母親は、おそらく、子どもを自分のもとに留めておきたいのである。母親は、子どもを甘やかし、自立することを許さない。このような状況では、協力の発達がいかに限定されたものになるかは、非常に明白である」〈A・アドラー〉

・「他の子どもたちに感心を持つことも、共同体感覚の発達にとって、非常に重要である。時には、もしも一人の子どもが母親のお気に入りであれば、他の子どもたちはその子どもにあまり友好的ではなく、自分たちの仲間に加えようとはしない。この状況が誤解される時、それは犯罪者としての人生の始まりになりうる」〈A・アドラー〉

・「親が子どもたちの前でひどい苦境や困難な状況について不平をいうことは、子どもたちの共同体感覚の発達を妨げることになる。同じことは、親が親戚や隣人についていつも非難し、いつも他の人を非難し、悪い感情と偏見を見せていれば起こりうる。子どもたちが、仲間の人間がどんな人かについて、歪んだ味方をして育ったとしてもほとんど驚くには当たらない。ついには親にも反抗しても驚くには当たらない。共同体感覚が妨げられるところではどこでも、自己中心的な態度だけが残るのである。子どもは感じる。『なぜ他の人のために何かをしなければならないのか』と。そして、この心の枠組みの中では人生の課題を解くことができないので、ためらい、安直な逃げ道を探すことを余儀なくされる。苦労して進むことを困難だと思い、他の人を傷つけても何とも思わない。これは闘いである。そして闘いにおいては何でもありである」〈A・アドラー〉

・「犯罪は、臆病な人が英雄主義を真似ることである」〈A・アドラー〉

・「犯罪者は協力的ではない」〈A・アドラー〉
【協力的ではない=共同体感覚に欠けている。〈24才・夏〉】

・「他の人とのくつろぎ方を知らない」〈A・アドラー〉

・「多くの犯罪者はいう。『もしも私が望むものをすべて持つことができないのであれば、生きていることは何の役に立つのか』と」〈A・アドラー〉

・「魅力的なものを見て、それを簡単に自分のものにしたいと思う犯罪者が、彼〔女〕らが関心を持っていない敵対的な世界から、どのようにしてそれらを取ってこなければならないか」〈A・アドラー〉

・「時に、われわれは、親に責任を課さなければならない。おそらく、母親は、子どもを自分に協力させるのに十分熟練していなかったのである。あるいは、母親自身が協力することができなかったのである。不幸な、あるいは、破綻した結婚においては、協力的な精神は適切に発達しない。子どもの最初の絆は母親とのものである。そして、おそらく母親は、子どもの共同体感覚を父や他の子どもたち、あるいは、大人を含めるところまで広げることを望まなかったのである。
犯罪者の生活史を遡ってたどれば、トラブルは、ほとんどいつも幼い時の経験において始まったことを見るだろう。問題なのは環境そのものではない。子どもが家庭における自分の状況を誤解したのであり、そのことを子どもに説明する人が、彼〔女〕の側には誰もいなかったのである」〈A・アドラー〉

・「思いつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」〈小野小町〉
訳:あの人の事を思いながら眠りについたから、夢に現れたのだろうか。もし夢とわかっていたなら、夢から覚めなかったのに。

・「体罰は無効である。なぜなら、社会は敵対的であり、協力することは不可能であるということを犯罪者に確信させるだけだからである。幼い頃、彼〔女〕らは協力する訓練を受けなかったので、勉強はできず、教室で問題を起こした。彼〔女〕は責められ罰せられた。今、そうすることは、協力できるよう勇気づけることになるだろうか。状況は以前より絶望的である、と感じるだけである。人々は自分に敵対している、と感じる。無論、学校を嫌う。
子どもは自分が持っているわずかな自信を失う。われわれは彼〔女〕らに希望を失わせてはならない」〈A・アドラー〉

・「犯罪の適切な予防は、適切な程度の共同体感覚[他者との協力]である」〈A・アドラー〉
【というのも、犯罪者はみな、敵対的であるからだ。〈24才・夏〉】

・私たちが犯罪者に対して、賞罰的に、そして敵対的に接したところで、彼らを更生させることはできない。むしろ逆に発憤させるだけである。犯罪者の更生に最も必要なのは、失われた共同体感覚を養うことである。

・「もっとも訓練が必要な親は、まさにわれわれが決して会わない親なのである」〈A・アドラー〉

・「われわれが現代の文化において享受しているすべての利点は、貢献してきた人の努力によって可能にされたのである。もしも人が協力的でなかったら、他者に関心を持たなかったら、全体に貢献してこなかったら、人の人生は不毛であり、跡形もなく地球上から消え失せてしまっていただろう。貢献した人の仕事だけが残っている。彼〔女〕らの精神は生き続け、永遠である。もしもわれわれがこのことをわれわれが子どもを教育するのための基礎にすれば、子どもたちは協力的な仕事を自然に好きになるように育つだろう。困難に直面しても力を失わず、もっとも困難な問題にすら直面し、それをすべての人を利する仕方で解決できるほど強くなるだろう」〈A・アドラー〉

・「共通の善に大いに貢献した個人だけが、天才と呼ばれる。人類に何の利益も残さなかった天才を想像することはできない。芸術はすべての個人の中でもっとも協力的な人が生み出したものである。そして、人類の偉大な天才たちはわれわれの文化全体のレベルを上げてきた」〈A・アドラー〉

・「才能とは、幼少期の努力で培われるものである。この初期の努力は、後の成功のためのもっとも優れた基礎である」〈A・アドラー〉
【「一人にされた三歳か四歳の女の子がいる、と仮定してみよう。彼女は人形のために帽子を縫い始める。彼女が仕事をしているのを見ると、われわれは何てすてきな帽子だろう、といい、どうすればもっとすてきにできるか提案する。少女は勇気づけられ、励まされる。彼女はさらに努力し、技能を向上させる。しかし、少女に次のようにいうと仮定しよう。『針を置きなさい。怪我をするから。あなたが帽子を縫う必要なんかないのよ。これから出かけて、もっとすてきなのを買ってあげよう』と。少女は努力を断念するだろう。このような二人の少女を後の人生において比較すれば、最初の少女は芸術的な趣味を発達させ、仕事をすることに感心を持つことを見るだろう。しかし、後の少女は自分でどうしていいいかわからず、自分で作るよりも、いいものが買えると思うだろう」〈A・アドラー〉】

・〈子どもの関心を同定する〉
「子どもの成長は、もしも子どもが子ども時代からどの仕事を後の人生でしたいかを知っていれば、ずっとシンプルなものになるだろう。子どもたちに何になりたいかとたずねたら、大部分の子どもは答えるだろう。子どもたちは、いつもはっきりと考えて答えるのではなく、飛行機のパイロットになりたいとか、車の運転手になりたいと、彼〔女〕らがいう時、なぜその仕事を選ぶのかは分かっていない。根底にある動機を認識し、彼〔女〕らの努力が向かう方向を見て、何が彼〔女〕らを後ろから押し動かしているか、どんな種類の目標を持っているのか、それを実現することについてどう感じているかを見出すのが、われわれの仕事である。
かくて、子どもたちに早い時にどんな仕事に就きたいかをたずねることは有利である。私はまた、子どもたちに、なぜその仕事を選んだのかをたずねるが、その答えは、しばしば、非常に意味深い。子どものライフスタイルの全体は、どんな仕事を選ぶかによってわかる。子どもは、われわれに、すべての努力の主たる方向、人生において何をもっとも大切にしているかを示すのである。われわれは、子どもが選ぶものを子どもに評価させなければならない。なぜなら、われわれ自身は、どの仕事がより高く、どれが低いかを語る手段を持っていないからである」〈A・アドラー〉

・「もしもお金の価値が家族生活において過大評価されれば、子どもたちは、仕事の問題を、それによって稼げるお金の問題としてだけ見たくなるであろう。これは大きな間違いである。というのは、このような子どもは、人類に貢献することを可能にする関心に従わないからである。たしかにすべての人が生計を立てるべきである。そして、この点を無視し、他の人にとっての重荷になる人がいる。しかし、もしも子どもがお金を稼ぐことにしか関心がなければ、容易に協力の道から外れ、自分自身の利益しか探さないことになる。もしも『お金を稼ぐこと』が子どもの唯一の目標であり、他者への関心がなければ、なぜ強盗をしたり、詐欺を働くことでお金を稼がないのか。たとえ、これほど極端でなくても、目標と結びついた共同体感覚がわずかしかなければ、人はたくさんのお金を稼ぐかもしれないが、その活動は仲間の人間にはあまり益にならない。われわれの複雑な時代においては、この道をたどることで裕福になることはできる。誤った道も、時には、いくつかの点で成功するように思える。われわれは、正しい態度で人生を生きる人がすぐに成功することを約束することはできないが、そのような人が勇気を持ち続け、自尊心を失わないことを約束できる」〈A・アドラー〉

・「愛と結婚が私的な営みではなく、人類の全体が、心と精神において参加するべき共通の営みであると認識することは重要である。その真の目的は、人間の協力を増すことである」〈A・アドラー〉

・「宗教によって課せられたもっとも重要な義務は常に『汝の隣人を愛せよ』だった。ここでもわれわれは、また違った形で、仲間への関心を増すという同じ努力を見る。甘やかされた子どもはわれわれに『なぜ私は隣人を愛さなければならないのか。私の隣人は私を愛しているのだろうか』とたずねるが、このようにたずねることで協力の訓練を欠いており、自分自身にしか関心を持っていないことを明らかにしている。
人生において最大の困難にあい、他者にもっとも大きな害を与えるのは、仲間に関心を持っていない人である」〈A・アドラー〉

・「人間の能力が発達するのは、仲間の人間に関心をもつことによってだけである。話すこと、読むこと、書くことは、すべて他者との結びつきを前提としている。言葉それ自体が、人類すべてに共通している。それは共同体感覚の産物である。理解は、私的ではなく、共有する機能である。理解するということは、他のすべての人が共有することをわれわれが期待する仕方で把握することである。それは、共有された媒介を通じて、われわれ自身を他者と結びつけ、すべての人類共通の経験に従うことである」〈A・アドラー〉

・「孤立の最たるものは、精神病において表される。精神病でさえ、もしも他者への関心が喚起されれば治療しないわけではないが、それはおそらくは自殺を別として、他者から距離を取ることを意味している。このようなケースを治すのには、大いに熟練を要する。再び協力できるように説得しなければならない。そしてこのことは忍耐して、もっとも親切で友好的な治療によってしかできない。
ある時、統合失調症の少女を治療できるかとたずねられたことがあった。彼女は八年間この状態にあり、この二年は入院していた。犬のように吠え、つばを吐き、服を破り、ハンカチを食べようとした。これは彼女がどれほど他者への関心から遠く離れているかを明らかにしていた。犬の役を演じたかった。そしてこのことは理解できる。彼女は、母親が彼女を犬のように扱った、と感じたのであり、おそらくは、こういいたかったのである。『私は人を見れば見るほど、犬になりたいと思う』。私は彼女に八日連続で会ったが、一言も話さなかった。私は彼女に話し続け、三十日後に、彼女は混乱し理解できない仕方で話し始めた。私は彼女の友人であり、彼女は勇気づけられた、と感じた。
もしもこのタイプの患者が勇気づけられると、自分の勇気をどうしていいかわからない。仲間の人間への抵抗は非常に強い。われわれは、ある程度は、勇気が戻ってきた時、彼女がどう行動するかを予言することができるが、依然として、協力的でありたいとは思わない。問題行動をする子どもに似ている。迷惑になることなら何でもする。手にするものは何でも壊す。あるいは、看護師を殴る。次に私が彼女に会った時、彼女は私を殴った。私は何をすべきか考えなければならなかった。彼女を驚かせるであろう唯一の反応は、一切抵抗しないことだった。この若い少女は、あまり力がなかった。私は彼女に私を打つに任せた。そして、私は彼女を友好的に見た。彼女はこのことを予期していなかった。そうすることは、彼女からあらゆる挑戦を奪った。
それでも、彼女は再び呼び覚まされた勇気をどうしていいかわからなかった。彼女は窓を割り、ガラスで指を怪我した。私は彼女を責めずに、ただ包帯を巻いた。このような暴力に対応する通常の方法、即ち、彼女を閉じ込め、部屋に監禁することは、彼女を治療する誤った方法である。この少女のような人を説き伏せるためには違ったことをしなければならない。精神的に混乱している人に、正常な人と同じように行動することを期待することはもっとも大きな誤りである。ほとんどすべての人は、彼〔女〕らに困惑し、苛立つ。普通の人のように反応しないからである。彼〔女〕らは食べず、服を引き裂くなどする。なすがままにさせよ。彼〔女〕らを助けるための他の方法はない」〈A・アドラー〉

・「うつ病の人は、しばしば、自殺をすることで、他者に復讐をする傾向がある。そして、医師の最初の関心事は、患者に自殺の口実を与えないことである。私自身は、治療の最初のルールとして、『したくないことはするな』ということを彼〔女〕らに提案することで緊張を和らげようとする。このことは些細なことに思えるだろうが、問題の根底にまで及ぶことだと思う。もしもうつ病の人が何でもしたいことができるなら、誰を責めることができようか。何のことで復讐できるだろうか。『劇場に行きたいのなら』と私は彼女にいった。『あるいは、休みたいなら、そうしなさい。もしも途中で嫌になったら、悩んではいけません』
それは誰にとっても最善の状況である。それは彼女の優越性の必要を満足させる。他方、それは彼女のライフスタイルにはあまり容易に合致しない。彼女は他者を支配し、攻めたいのであり、もしも他者が彼女に賛成すれば、支配することはできないのである。このアプローチはいつも非常に効果的である。
しばしば、患者は私の提案にこう答える。『でも私はしたいことなんかない』と。『それなら、嫌いなことはしないようにしなさい』と私はいう。
しかし、時には、次のようにいうだろう。『一日中ベッドの中にいたい』
もしも私がそれを許せば、それをもはやしたくなくなるだろうことを知っている。私はまたもしも私がそうすることを止めれば、新たに戦争を始めることも知っている。私はいつも患者に同意する。これは一つの戦略である。さらにいっそう直接にライフスタイルへの攻撃をしかけるのである。私はいう。『もしも私の処方に従えば、十四日で治るだろう。毎日、どうすれば誰かを喜ばすことができるかを考えるようにしなさい』。このことがうつ病の患者に何を意味するかを想像しなさい。彼〔女〕らはいつも『どうすれば誰かを悩ませることができるか』という思いで頭はいっぱいである。
答えは非常に興味深い。こんなことをいう人がいる。『たやすいことだ。ずっとやってきたことだから』
もちろん、そんなことを一度もしたことはないのである。私は彼〔女〕らにそれについてよく考えるように頼む。考えたりしない。私はいう。『寝られないときには、どうすれば誰かを喜ばせることができるかを考えて、あなたが使えるすべての時間を利用できます。そうすれば、あなたの健康は劇的によくなるでしょう』。次の日、彼〔女〕らを診る時、私はたずねる。『私が提案したことを考えましたか』
彼〔女〕らは答える。『昨晩はベッドに入ったらすぐに寝てしまいました』。これらはすべては、もちろん、謙虚で、友好的な仕方でなされなければならず、少しでも優越性をほのめかしてはいけない。
こんなふうに答える人もある。『一度もできませんでした。困っています』
私はいう。『困るのはやめなさい。でも、同時に時々他の人のことを考えることができます』。私は彼〔女〕らの関心を他の人に向け変えたい。
多くの人はいう。『なぜ他の人を喜ばせなければならないのか。他の人は私を喜ばせようとはしない』
『あなたの健康のことを考えなければならない』と私は答える。『他の人は後になって苦しむでしょう』。患者がこう答えることはめったにない。『私はあなたが提案したことを考えました』。私の努力のすべては、患者の共同体感覚を増すことに向けられる。私は病気の真の理由は協力しないことであることを知っている。そして、私は患者にもそのことをわかってほしい。仲間の人間に対等で協力的な立場で結びつくことができればすぐに治癒する」〈A・アドラー〉

・「もしも子どもが他の人は敵であると感じれば、もしも敵に囲まれていると感じて壁に背を向ければ、われわれは子どもが友だちを作り、他者にとってのよき友になることを期待することはできない。もしも他の人は自分の奴隷であるべきであると感じれば、他の人を援助しないで、支配したいと思うのだろう。もしも自分自身の感覚と身体的ないらだちと不快に関心があれば、自分を社会に対して閉ざすだろう」〈A・アドラー〉

・「家庭と学校の両方の目的は、子どもが社会的な人間、人類の対等の一員になることを教えることである。これらの条件においてのみ、子どもは勇気を保持し、他者の幸福を増進する解決を見出して人生の課題に自信を持って対処するだろう。
もしも子どもがすべての人にとって親しい友になり、〔長じて〕有益な仕事と幸福な結婚によって社会に貢献することができるのであれば、他者より劣っているとか、負けたとも感じないだろう。自分が好きな人に出会い、困難に対処する仕事に耐えることができ、自分はこの友好的な世界でくつろいでいる、と感じるだろう。また、『この世界は私の世界だ。待ったり、期待しないで、私が行動し作り出さないといけない』と感じるだろう」〈A・アドラー〉

・「愛はある心理学者たちが考えているように純粋に自然的な機能ではない。性は衝動、あるいは、本能であるが、愛と結婚の問題は、どのようにこの衝動を満たすかということ以上のものである。われわれが見る時にはいつも、われわれの衝動と本能は発達させられ、教化され、洗練されていることを見る。われわれはわれわれの欲求と傾向を抑圧してきた。われわれは、仲間になるように、例えば互いを怒らせない方法を学んだ。清潔で、見苦しくなくなる方法を学んだ。われわれの空腹も純粋に自然的なはけ口ではない。われわれは食べることに関係した趣味とマナーを創り出してきた。われわれのすべての衝動は、われわれの共通の文化に適応されてきた。それらはすべて、われわれが人類の幸福と社会におけるわれわれの生活のためにすることを学んできた努力を反映している」〈A・アドラー〉

・「二人のパートナーの間の協力を十分理解するためには、それぞれのパートナーが自分のことよりも相手により関心を持たなければならない。これが愛と結婚が成功する唯一の基礎である。
それぞれが相手の人生を安楽にし豊かにするあらゆる努力をするべきである。このようにして、それぞれのパートナーは、安全で自分に価値があると感じ、必要とされている、と感じるのである。ここでわれわれは、結婚の完全な保障、この関係における幸福の完全な意味を見る。それは、あなたには価値があり、あなたは他の誰にも置き換えられず、あなたのパートナーはあなたを必要とし、あなたはよくふるまっていて、よい仲間で真の友人であるという感覚である。
しかし、もしも一人がもう一人を支配したいと思い、従うことを強いれば、二人は一緒に豊かに生きることはできない。誰も怒ったり憤慨することなく、劣等の地位に耐えることはできない。パートナーは対等でなければならない」〈A・アドラー〉

・「人は環境によって決定されるのではなく、環境の解釈によって決定される。親もとで不幸な家庭生活の経験をしても、このことが、ただ自分自身の家庭生活においては、よりよくする刺激となり、結婚に対してよりよく準備する努力をするかもしれない。われわれは決して人を不幸な家庭生活を送ったからといって判断したり、あるいは、排除してはならない」〈A・アドラー〉

・「子どもの遊びにおいては、あまりにしばしば競争と優越したいという欲求しか見られない。子どもたちが協力し、一緒に勉強し、一緒に学ぶ状況を確立することは非常に重要である」〈A・アドラー〉

・「子どもに決して嘘をいわないこと、質問を避けないこと、質問の背後にあるものを理解すること、子どもが知りたいと思っていることだけを、そして、子どもが理解できるとわれわれが確信することだけを説明することである。おせっかいででしゃばりな情報は大いに害を与える。人生の課題は、子どもが自立しており、質問することで知りたいことを学ぶことがよりよい」〈A・アドラー〉
【子どもの性教育についての言及。〈24才・夏〉】

・「二人を愛そうとすることは、事実上、どちらも愛していないということである」〈A・アドラー〉

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