宮野秀策/本「学校を出よう!」

※2012年2月頃の記事
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本「学校を出よう!」は私が影響を受けた本の一つです。その中でとりわけお気に入りの人物が“宮野秀策”
この本は第一巻から第六巻まであるんだけど、そこにあまねく登場する宮野の、宮野という一人の人間の考えをまとめてみました

上位世界についての考察をしてみることにする

例にオカルトを挙げよう

便宜上用いるだけだ

オカルト、それは超然たる神秘

この世界において、

畏怖と尊崇と憧憬をもって語られるべき存在

まさに神の領域だ

いや、神という言葉はおそらく相応しくないであろう

単考薄命な矮小なる人間という下等生物が想像する神のレベルに留まらず、

もっと高等な意識が存在している世界なのだ

つまり、上位世界である

上位世界とは言え、別に上空にあるわけではない

「上」と言ったのは便宜的なものだ

純粋に高さをもって計られることはない

我々にはその世界の位置を表す概念がないからだ

二次元世界に高さの概念がないように、我々にもそれを認識できる概念がない

つまりオカルトというのは、

我々から見た上位世界の寸劇を偶然垣間見ているだけに過ぎないと私は思っている

まあそれもまだまだ万能ではないらしいことから見て、

「彼ら」はせいぜい我々の一つ上あたりの階層だ

それでも我々に見える「オカルト」は彼らの靴底あたりに過ぎないが、

「彼ら」の世界の上にも世界はある

しかしその世界の「それ」ですら、もう一段階上の世界から見れば縹渺としていて虚構みたいなものなのかもしれない

そして我々が自由に介入できる世界もある

つまり我々から見た下位世界だ

それが物語である

まあ当面のところとして、私は下界などに興味はない

これ以上の言及は無意味だ

上位世界の「彼ら」と我々人間の関係は実に明快だ

操っている者と操られている者

彼らは我々の世界に自由に介入・改ざんできる

この世界に留まっている限り、我々は彼らの操作を免れない

知らず知らずのうちに操られているのだ

自分の意志で行動しているつもりが、それは彼らの意に則したものなのだ

そしてその「彼ら」もまた、

上位世界の「それ」によって操られている

物語を集結させるために我々の行動は規制されている

決して枠をはみ出ることはできない

ならばどうして私のような存在がある?私は何の駒なのだ?

なぜ私の中に思考という属性が存在し、与えられているのか…

階層構造世界がどこまで続くのかは解らん

だが有限である確率は少々高い

なぜなら、存在するということが有限であるからだ

少なくとも我々の世界の常識ではそうだ

その域は出ない

階層構造世界群の頂点に君臨する世界がたった一つある

遥かな高みの果てに、

あらゆる本質と真相を内包した世界がたった一つあるのだよ

そこでなら、ようやく知ることができるだろう

「世界」とは何であるかを

 


 

[原文]

よく聞いておいてくれ。いいか。(ボードに縦軸と横軸を書く)さて、ここにy軸とx軸がある。これが何か、~くんには解るはずだ。うん、分かった。とりあえずここが(線の交点を指し)我々の世界だとしようか。前回我々が出くわした気の毒な仲嶋数花、彼女のおかげで解ったことがあった。それは、この世界の他にも世界は存在し、パラレルな平行世界群を形成しているということだ。そして、平行世界の数はあくまで有限であり、無限に分岐するのではない。世界は固定されている。最後にこの世界に出現した仲嶋数花の人格は、ここから256ほど離れた世界から来たわけだ。平行世界がいくつあるのかは調べようがないが、少なくとも300以上はある。そしてだ、いいかね~くん。その平行世界は最初からその数で始まったのだ。多少の増減はあったかもしれんが、さほど変化していないと私は推定している。では早速結論に入ろう。(縦線を増やす)このように、平行世界はまさしく平行であり、世界同士が交差することは決してない。だがこの際それはたいした問題でもない。平行世界がいくつあろうが、今の私には何の関心もないことだ。(y軸を指す)問題とすべきはこちらのほうだ。なぜか解るか?~くん。何なら~くんでもいい。~くんはどうかね?…この世界の横には世界があった。世界が横に広がっているのならば(上の横線を増やしながら)縦方向にも別の世界がないとは決して言えない。いいや、むしろそれは存在する。していなくてはおかしいくらいだ。私はそう考えているのだよ。さて、ここで問題だ。この世界の全ては二つに分類できる。いや、されている。それは何と何だ?(答えを一通り聞いてから)答えを言おう。誰かを操っている者と、誰かに操られている者だ。そして我々は操られている側にいる。しぶしぶとだが、それは認めねばならないようだ。では誰によって操られているのか。(上方向に交点を移動させながら)我々を操るのは、この世界から上位にある世界の誰かであると予想する。そしてその世界の誰かも、さらなる上位の世界によって操作されている。このプロセスを繰り返していけばどうなると思うのかね?結論を言おう。よいか、平行世界は有限である。そして世界は上下にも存在する。とするならば、その縦方向の世界もまた有限であるとして何がおかしいことがあろう。つまりだ~くん、上位方向に向かう世界には限りがある。永遠に上り続けることはない。どこかで突き当たりに出くわすのだ。世界をどこまでも上昇して行った、その最終地点にある世界、そこから上の世界などなく、すべての世界を見下ろし、支配し、誘導しているだろう世界だ。そうとも、そこにはすべての真相がある。神々の住む世界と言ってもいいだろう。私は確信するのだ。いつか私が世界の最上階に立ち、この世に存在するあらゆる矛盾を解読する立場になることを。それが私の最終目的地なのだ。聞きたまえ、~くんとその他~名たち。平行世界はあった。そしてこの世界の上にも別の世界がある。しかしここで忘れてはならない。世界は上下方向にもある。(下の横線を増やしながら)当然、ここより下位の世界もあるだろう。それが物語である。だが当面のところとして、私は下界などに興味はない。目指すのはそこではない。あくまでも上位なのだよ。しかし、上位世界とは言え、別に上空にあるわけではない。「上」と言ったのは便宜的なものだ。純粋に高さをもって図られることはない。我々にはその世界の位置を現す概念がないからだ。二次元世界に高さの概念がないように、我々にもそれを認識できる概念がない。結論を言えば、上位世界があることが分かった。だが、そこの住人を指す言葉の概念も存在しない。固有名詞を使うと、個々の呼称の相違でさらに複雑化してしまうだろう。そこで私はこう呼ぶことにする。「彼ら」と。インターセプタ「年表干渉者」、インスペクタ「高等観察院」、アスタリスク「自動干渉機」などの連中がそうであろう。彼らは我々より上位にあたる世界の住人だ。間違いなかろう。彼らは我々の世界に介入できる。ほとんど神のごとき存在と言ってもよい。まあ、神にしては少々人間くさい気がするが、もともと神の概念自体が不確定だからな。つまり、我々の現実が、上位に位置する世界によって都合良く改変されている可能性を私は疑っている。そしてその世界の人間ですら、もう一段階上の世界から見れば虚構みたいなものなのかもしれない。このようにして、世界は階層を延々と上に伸ばしていくことになる。だが!それは無限ではない。先ほども言ったように、x軸の平行世界が有限ならばy軸もそうであるかもしれんではないか。階層構造の頂点に君臨する世界がある。遥かな高みの果てに、あらゆる本質と真相を内包した世界がたった一つあるのだよ。それこそ我々が想像もつかない神々の世界なのかもしれん。いいや、神々をも超越しているに違いない。矮小なる人間という下等生物が想像する神のレベルに留まらず、もっと高等な意識を持っている存在の住む世界なのだ。私はそう確信する。操っている者と操られている者。この世界に留まっている限り、私もまた彼らの操作を免れない。知らず知らずのうちに操られているのだ。自分の意志で行動しているつもりが、それは彼らの意に則したものなのだ。物語を終結させるために我々の行動は規制されている。決して枠をはみ出ることはできない。ならば、どうして私のような存在がここにいる?私は何の駒なのだ。なぜ私の中に思考という属性が存在し、与えられているのか。まあ、それはとりあえず置いておこう。いずれ解ることだ。私はいずれこの辺りに行くつもりだ。どうやったら行けるのかはまだ解らんが、どうにかして行ってやろうと思っている。「インターセプタ」や「インスペクタ」よりも遥かな上位にだ。「インターセプタ」や「インスペクタ」が万能ではないらしいことから見て、彼らはせいぜい我々の一つ上あたりの階層だ。それでも我々に見えるのは彼らの靴底くらいだが、彼らの世界の上にも世界はある。どこまで続くのかは解らん。しかし階層構造ならば登ることが出来る。私はそう信じている。てっぺんに辿り着く可能性は低いだろうが、私はその高みを目指したい。そうして世界とは何であるかを知りたいのだ。そこで私はすべてを知ることになる。なってみたいのだよ


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