映画「マトリックス」

※2012年5月頃の記事
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マトリックス見た感想はねー…

真実は見つけにくいってことだ

現実に見えているものだけが真実とは言えない。見えないところで何かが存在している可能性は否定できない。なぜなら、見えないから。つまり、分からないから

可能性が1%でもあれば、断定はしちゃだめだ。それが科学。一つ一つを石橋を叩いて渡るのだ

あるものを、こうだと決めてしまうこともある。始まりがあれば、終わりがあるものだ。いやそれは、道でいいのかもしれない

ゴールが見えたら、そこで長い旅も終わる。決着をつけてしまえば、そこで終わってしまうのだ。それ以上考察することもなくなる。好奇心が絶たれてしまうからだ

師は言った

「真実を求めていることは、真実を確実に手にしていることより尊い」

好奇心がなくなるということは、同時に進化も止まるということ。人間は自らの子孫繁栄のため、そして、より豊かに、便利になるために、好奇心をエンジンにして努力をしてきた。その体現が、科学なのだ

とてもじゃないが、切っても切り離すことのできない概念だ。概念ね…

一見完全なようであり、やはり不完全でもある

人間よりは高次な知性体だろうが

いや、やはり解釈が少し違う。科学が不完全要素を持ち合わせるのは、科学自体の因子ではない。そうだな。主観は人間だ

どんなに完全無欠の概念でも、それを扱うものによってはどのようにも変容しうる。それこそ概念のゆえんたるゆえんだ

アーキテクトが言っていた。希望や愛。まさに典型的な人間の錯覚、最大の強さの源泉であると同時に、最大の弱さの源だ

確かにそうだと思う。あとこれも言えるな。それは、人間にしか作り出せない

科学にとっては興味の佳境だろうな。まったく、七不思議といっても過言じゃない。そんな概念、人間のすべてのステイタスを凌駕してしまった自分たちには、…作り出せないのだから

その概念を総称して言おう。それは、思い込みだ

ここで私はまた情緒に会う

思い込み。最強かつ最弱の概念。最強であることの理由は、それが虚構であるということ。そして最弱である理由も、虚構であるということだ

真実は、私にとって少々都合が悪い。なぜなら、真実が最強である理由はそれが真実であることであり、本質であること。なのに、最弱の理由がないからだ

もしかして今一つあると言ったか?

真実の欠点は、それが見えづらいということ

それを欠点というべきなのか。私は逆だと思った

見えないものに対する好奇心、それはあくなき探究心となって、思い込みという概念を増大させていく。結果的にそれは、自らの進化につながる

思い込みは際限がない。今のところは。だがこれは決して無限だと言っているのではない。もちろんその属性はある。個々で独立するものだ。だけどそれ以外の思い込みの属性には限りがある

限界はどこだ

愛や希望といった類の思い込みは、真実を超えることはできない

母親におんぶされた赤ん坊は、母親と一緒なら母親が行けるとこまでならどこにでも行けるが、母親と離れては一歩も動くことはできない

大綱に真実を選んでる限り、その力は真実に匹敵するか、それ以下となる。超えることはできないのだ

科学は素晴らしい属性だ。まったく、人間はどうやら自分より高尚で上智な知性体を生み出したようだ

だがしかし、そこにはもはや恐怖はない

今はまだ。映画での出来事が起こらないとも限らないからね。そうつまり、パラドックスだ

恐怖、分かりやすく言うなら最悪のシナリオかな、を添加したものがこの映画「マトリックス」だと思っている

真実は浅く、世界観は多くを語ってはいない。典型的な想像系なのかまたは、その意図が元からあの兄弟にはなかったのかは分からない

いずれにしろ顛末は一緒だし、今回はプロセスは問題ではないと言える

例えば、テレビの中で2人の議員が討論をしている。議論の矛は議題を離れ、いつしか互いのコンプレックスや節操、それもプライベートな域に踏み込んだ内容だ。視聴者はこの2人をさぞ仲が悪いんだろうと踏むだろう。これが、目に見える部分だ

もちろん程度も対象の内だ。そうでなくては数字の存在意義はないし、人間が創る科学も存在しえない

まあそのあとの具体的な未来はどうでもいいけど、例えばでいくなら、2人は本当に忌諱の仲なのかどうかという疑問を提起するだけだ

それでも私たちはこれなら分かる。分からないという答えに。果たしてそれも選択肢の一つにある。比較的簡単な問題だ。これまでこの類の問題はいくつも解き明かされてきた。経験がものを言っている

これが、見えない部分。多分だけど、君が思っていることより、少しだけ守備範囲は広くもってイメージしてみてほしい

この両者をはっきりさせてみよう

この世界にはびこる支配者、私たちの主属性であり、思い込みという仮想世界の住人、かつ矮小なる下等生物。人間は、目に見えている部分のみ認識している

そうこれは誤認識なのだ。見えている部分、それによってのみ構成される概念が思い込みなのだ

いや、厳密に言うなら認識側の問題との指摘もあるだろう。思い込みの概念は見えている部分を寡占するが、しばしば見えない部分をまたぎ、他方にも存在するものだ

その認識は実に曖昧

言っておくが、これはすべての情報に言えることだ

思い込みはその多くが見えている部分によって構成されている。そして言うならば真実は、両者に点在するということを

的確で、寸毫の狂いもない。洗練された美のようなイメージか。はたまた雲の上の存在とでも言うべきか。そのように成り上がったのも他ならない思い込みの概念によるものだ

真実は自ら山に登ったのではない。周りの土地が低くなっただけだ。そう思っている

真実と思い込みは、まさしく科学と人間のような関係だ

おそらくディテールは違うと思うけど、私の中での抽象なイメージではそれでいいらしい

真実と科学、科学と人間、人間と真実は切り離すことができない。人間と思い込みも当分はそうだろう。関係ないのは科学と思い込み、そして、思い込みと真実

マトリックスは、そんな近いようで遠い、同じようで違う4者の間を、少しだけ垣間見ることができるかもしれない映画だと思う

どう思い込むかは視聴者しだい。語り手は、ただ情報を提供するだけに過ぎない

瞬時に本質をかすめとるのは安直じゃない。まだまだ分からないことは多い。暗黒物質は8割を占めているしね。関係ないか

んー長くなったけど、マトリックスの感想ここに以って


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