大江戸ブックレビュー/爆問学問

※2012年6月頃の記事
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爆問学問はやっぱいいね

今は怒り新党とダブってるから泣く泣く録画をあきらめているけど、ブルーレイ買ったら絶対録画するからな

今回は大江戸のブックレビューだったけど、なんかよかったね

江戸の治安の良さについて話があったけど、現代の情勢と比べてみることで見えてきたいものが浮き彫りになったみたいだ

江戸の警察事情はもうとにかく起こりうる事態を事細かに想定してマニュアルに仕立て上げている。それはもう、重箱の隅をつつくように延々と

「水死者の事発見の辻番番人の心得」

水死人これあり候わば
御堀内にて最初見出しお届け申し候上
上下へ流れゆき候とも
最初見出しお届け申し候ところのもちにて
とりはかり候こと

すいしにんこれありそうらわば
おほりうちにてさいしょみいだしおとどけもうしそうろううえ
じょうげへながれゆきそうろうとも
さいしょみいだしおとどけもうしそうろうところのもち(責任)にて
とりはかりそうろうこと

辻番の番人とは今で言う警察のこと。つまり、例えば川などで水死体を発見した場合に、最初に見つけた番人が最後まで責任を持つということだ。さらに、

持ち場境目に浮き死骸これあり候わば
足のほうにて引き受け
とりはかり候こと

もちばさかいめにうきしがいこれありそうらわば
あしのほうにてひきうけ
とりはかりそうろうこと

つまり、それが両方にまたがって浮いていた場合には、頭のほうじゃなく足のほうの持ち場の係の者がやるべきだと

江戸では、そこまでマニュアルとして決めていた。いろんなことを想定して前もって決めておく。江戸の治安の良さはこうゆうことから成り立っていたのかもしれない

人は想定外のことが起こると混乱し、事態は悪化する。こんなことが起きるなんて、って思っていることがいっぱい重なることもある。そんなとき、悪循環にならないように前もってこうゆうときはこう善処しよう、というマニュアルが決められ、法律ができる

だから本来の法律のあるべき姿は、あらゆる事態をもカバーできるように網羅されるべきものなのだと思う。だが現実は違う。3.11のように、責任もはっきりしない、まさに法律ではカバーできないような想定外のことが起こることはこれからもたくさん出てくる

そうゆう事態をむかえていちいち狼狽したくはない

師は言った

「常に技術は法律よりも先行する立場にある。先に状況や技術があって、それに対応するために法律が出来る。法律自体が後付けなのだ。法律は完璧じゃない。問題なのは、法律が技術についていけないことだ」

江戸のそれは法律ではなかったが、でも、誰が決めたかわかんないけど、そうゆう決め事があるという事実はそこにあった

つまり、責任だ。それを明確にする。誰が責任をとるんだ、みたいに漠然とさせない。そして町人が侍に向かって平等であれ、堂々と提言できる関係が築かれていた

侍はいわゆる今の官僚や政治家

町に入れば町に従え。そして町人たちはどのように侍と信頼関係を繋ぎ、奉公していたか

官僚や政治家は、非があった場合、最終的に切腹というところで自らの責任をとる。それがしっかりと根付いていた。だから、侍は必死であり、ゆえに治められる側は彼らを信頼できたのだ。これが、江戸の社会の成り立ちであった

責任。そうゆう意味では、今の私たちの社会より、江戸のほうがはるかに進んでたのかもしれないな

最後に教授がおもむろに春本を差し出したのにはワラタアwwwww


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