子育て

幼少期の環境(行動に対する周りの反応など)はその人の性格形成の元になるほど重要なことだといえる。ここでは子どもとは何か、子どもと親の関係、子どもを活かした子育てなどについて書く。関連するものに“深層心理”がある

目次

思春期の全ての子どもに共通することがある

・子どもの問題を理解するのはむずかしく、時間がかかるということ。あせってはいけない
・親を不快にしたり頭を悩ませる言動は、行きづまった何がしかのサインだということ
・子どもは、親の思いどおりにはならない、別人格であるということ
・どんな子でも親に認めてもらいたがっている、くつろげる家を求めているということ

これをふまえた上で以下を読んでほしい

どんな子どもでも、親に愛されたいと願っている

親に愛されたいがために、必死に努力もすれば、わざと親を困らせたり、反発したりする。愛されたいという心を満たすには、しっかり褒め、慈愛の心をもって接することが大切だと思う。また子どもは、自分の気持ちを親にわかってもらいたいと思っている。仲良くやりたいのだ

思春期は自立と甘えの葛藤期

個人差はあるが、思春期は9才(小学4年生)から始まる。それまでは大人という存在は絶対的な存在だったのが、徐々に手が届くようになり急速にその距離が縮んでいく。こうして、少しずつ、大人に絶対服従だった関係が崩れはじめ、友だち関係に比重が移るようになっていくのだ
子どものなかでは、4年生くらいから大人はそれほど怖くない存在になっていく。「わかってる」「自分でできる」「うるさい」は自立のステップなのである。つまり思春期とは、“自立したい、だけど時には親に甘えたい葛藤期”なのだ

温かく見守る

思春期が大人への反発=自立なのだとしたら、親はその手助けをするべきではないか。ただ、自立と、見ないというのは同じことではない。見ないのではない。手を出さずに温かく見守るということだ

親だからこそ自分のことを省察するべきである

子どもが反抗してくることを、親が自分に対する侮辱と取ったり、子どもの問題としか受け取れず、ただ親であることをふりかざして、抑え込もうとするから親子の亀裂は深まるばかりなのだ。子どもがいけないのは親のせい、まず自分を省察しようとしなくては子どもは直ることがない

子どもの視点

まず必要なことは、いまの子どもたちが、どんな世界に、どんな思いを抱きながら住んでいるのかをよく知ることである。その際、ポイントとなることは、親や大人の視点だけではなく、子どもの視点で、彼らの行動や世界を眺めてみるということ

思春期の男女の違い

思春期の男の子は「遊ぶため」に群れる集団だが、女の子の場合は、「自分の居場所を守るため」の集団になる。孤立を嫌い、友だちに同調意識が芽生える

思春期の女の子

思春期の女の子の関係には、友だちと同じことをしたいという共有意識、そのくせ負けたくないという競争意識、そして、求めるものを自分だけのものにしたい独占欲、手に入れられなかった場合の嫉妬や喪失感など、欲望と挫折が渦巻いている。しかも、それをコントロールするだけの力がついていないために、相手を傷つけることも平気でしてしまう

――

「お姉ちゃんでしょ?しっかりしなさい」と言われることが一番むかつく

原因を突き止めないと問題は解消されない

家でため込んだストレスは、学校をはけ口にして、友だちを傷つけることを言ったり、いじめたりという問題行動になってあらわれてくる。原因は必ずあるのだから、それを突き止められるまで深く掘り下げないと根本的な解消にはならない

基本的信頼(“深層心理”)

基本的信頼が育っていないと、その後に続くものも身につきにくくなる。他者を信頼し、自分を信頼できてはじめて、親からの禁止や統制を受け入れ、自らの欲求や行動を律することができるようになる。ここでつまづくと、彼らは自分中心に物事を考え、欲求のままに行動する。根底に抱えた愛情飢餓を素直にあらわせず、攻撃や拒否というネガティブな反応を示すことも多い。それは、他人とうまくつながるための基本的な安心や信頼が身についていないことを物語っている

思春期の子どもたちが求めているもの

人間関係の安定(他人との同調など)、大人(親)がいなくても自分で何でもできるという自己効力感(自立)、自分の考えのひけらかし(自分中心の世界、自分の考えをわかってほしいという気持ち)、多くの信頼し合える友だち(嫌われたくない、多くの人に好かれたい)など

いじめられた者の復讐

いじめられた者は、恐怖のときが過ぎ去ったあと、もう二度といじめられたくないという思いから自分の身を守るためにいじめる側に回ることがある。対等な関係というものが信じられない。そのときの憎しみから、同じような思いを誰かに味わわせようとの復讐の意味もある

子どもの「分かってほしい」に応える

批判するのではなく、最後まで子どもの話を聞いてあげること。結論ではなく、子どもの思いや考えるプロセスをまるごと受けとめること。それが、その子の「わかってほしい」に応える、大きな一歩となる。そして、結論は最後に見つかればいいのだ

求めるもの

親が子どもに求めること⇒子どもの幸せを願っている
子どもが親に求めていること⇒自立、でも愛されたい、分かってもらいたいという基本的信頼

子どもの「育つ力」

親自身が味わった経験から、こうすれば子どものためになると、親が一生懸命レールを敷いてあげようと思うのは、自然な親心かもしれない。でも、親の思うとおりに子どもがそれを求めるとは限らない。たとえわが子でも、子どもと親は別の人格。ことに、現代っ子たちは、人に従うよりも自己主張や自分の価値を大事にする傾向がある。だから、「お母さんのいうとおりにしてたらいいの」という言い方は反発をもたらすだけだ。そもそも、親が「自分の力でどうにかしなくては」ということに無理がある。親が無理やり引っ張りあげようとしても、ついていけない子どものほうは、自分はダメだと自信をなくす。ついていけた子も、ほんとうの自分でない自分に空虚さを抱いたり、他人に自分をあわせることしかできないような子になってしまう。子どもは、自分自身になるための「育つ力」をもっている。私たちができることは、それを援助し、見守ることなのかもしれない。親を困らせるようなことをするのも、親のための自分ではなく、ありのままの自分をわかってほしいと、行動を通して訴えているのだ。つまり大事なのは、行動をどう見るかではなく、そこまでに至った子どもの寂しさ、苦しさをどこまでわかってあげられるかなのだ

子どもの幸せは、誰が決めるのか

子どもの幸せは、誰が決めるのか。それは、ほかでもない子ども自身である。そのことに親が気づけるか、気づけないかで大きく変わってくる。子どもは、親のものではなく、子ども自身のものであることを親が認めるだけで両者とも心は軽くなるだろう。親の言うことを聞いていたらいいというのは、親の安心のためのものにすぎない。それは子どもにとっては、あるときまでは安心となっても、自分探しをはじめる思春期の年頃には、かえって不安や混乱を与えることになる。なぜなら、思春期の子どもは本能的に、親から離れ自立を求めるからだ。それを親が認められず、親に縛り続けられた子どもは哀れだ。親は、自らの期待や支配の縛りをといてやることが大切である。親としては不安かもしれないが、そんななかでも見守られることで、子どもは安心して、失敗しながらでも自分を模索するようになる

子どもにとっての一番の拠りどころ

子どもたちは、誰にも言えず、人知れずもやもやとしながら、出口の見えない不安を抱えている。人とのかかわりは求めているのに、思いの伝え方が未熟なために、傷ついたりつまずいたりして空回りしがちだ。こんなとき、いちばんの拠りどころになるのは、親からの励ましと、何よりも家が安心できる場所であることなのだ。兄弟と比べられたりするのはとてつもない劣等感をもたらし、子どもの不遇感や愛情飢餓感を強めてしまう

親の言葉

親の言葉は子どもの心の中に深く刷り込まれるものである。言葉には気をつけなければならない。「嫌い」「お姉ちゃんと違ってアンタは・・・」「どうせ、やってもムダなんだから」というような言葉は言うべきではない。子どもは、認めてもらえてるんだ、愛されてるんだ、と思うと幸せになる。「すごいじゃない」「がんばったね」「ありがとう」「大好き」などの言葉を言うべきだ

子どもへの接し方

・子どもを落ち込みではなく、反省させるようにしなくてはいけない
・好きなことをさせるのが自由ではない。その子どもがやりたいことを援助してあげるのが自由であると思う
・期待に沿っているほど、それに疲れたときには落差も大きくなる
・子どもは、自分で考えてやってみて、失敗して学ぶものだ。だが親は失敗することはすごくいけないことだと思っている。間違ってはいけないと、先にこうしなさいと押しつける
・大事なのは自分の意思で行動しようとすること(自発意識の強力コミットメント“コミットメントと一貫性”)。親はその行動に理解と支えをもつことで、親子関係はうまくいく。どんな子も、親の理解と支えで必ず立ち直る
・思春期の子どもには、大人に向かって、新たな自分を模索する脱皮のときが訪れようとしている。わが子を信じて、辛抱強く見守ってあげてほしい。子どもはきっと、自分らしい生き方を見つけ出すでしょう
・批判したり強制したりする言葉よりも、子どもの目線からの、しかも客観的な言葉のほうが子どもの心に届く

子どものことを理解する

子どもを歪まずに育て上げるにはまず第一に子どものことを理解し、変化に気づくことが大事である。以下のポイントを精査するとよい

【子どものことを理解する】
・子どもは、どういうときにうれしそう(楽しそう)にしているか
・どういうときに寂しそう(辛そう)にしているか
・よくつかう言葉はなにか
・好きなものは何か。嫌いなものは何か。それはなぜか
・何に興味をもっているのか
・何を大事にしているか
・何に安心するのか
・兄弟間はどうか。兄弟が喜んでいるときは、本人も喜んでいるか。困っているときは、なんとかしようとしているか
・一番仲の良い友だちは誰か。その友だちはどんな子か。その友だちとはどういう関係か。何を話すのか
・学校ではどのように振舞っているか。友だちや先生との関係はどんな感じか
・子どもにとって家族とは何か。親とは何か。兄弟とは何か

次に、目をそらしがちな自分自身についても振り返るべきである。特に子どもに接するときに自分がどういう意図をもって接しているのか考えるべきである。子どもが見ているものと自分が見ているもの、かみあっていたところ、すれ違っていたところが見えてきたら、あとは何をすべきかも分かる

【自分のことを理解する】
・自分にとって、大事にしているものは何か
・どういうときにうれしいのか。そのときはどうしていたか
・どういうときに、寂しく(辛く、悲しく)なって、そういうときは、どうしていたか
・よく使っている言葉は何か
・子どもたちの扱いはどうか。平等に接しているか。知らず知らず、差があったと感じられるときがあったか
・夫(妻)との関係、親、親戚との関係はどんな感じか
・併せて子どもに対してのポイント項目も考えてみるとよい

子どもの変化のサインに気づく

子どものことを理解した上で子どもの変化に気づくことが大事である。子どもは親がどれほど自分を見てくれているか、愛してくれているか観察している。変化はどの子どもにも必ず訪れる。変化は悪いことではない。それは大人への自立の過程なのである。変化が起きたら頭ごなしに否定するのではなく、まず受け止めようとするのです。その上で客観的な視点から物事を考え合い、親子で気持ちを共有することが大事なのだ。子どもの変化の代表的なポイントを挙げてみよう

・「イヤだ」と抵抗するようになった
・ふさぎ込むようになった。表情が険しくなった
・ウソをつくようになった
・友だちをいじめるようになった。兄弟に激しく当たるようになった
・物を取ったりするようになった
・自分を傷つけたりするようになった
・ご飯を食べなくなる
・急にやる気がなくなる。無気力になった
・一人で落ち込む様子が増えるようになった
・帰るのが遅くなった
・遅刻するようになった。学校に行きたがらない
・家族といっしょにいる時間を嫌がるようになった
・スカートの丈が短くなった
・化粧をするようになった
・言葉づかいがきつくなった
・口をきかなくなった
・イライラしていることが多い
・インターネットやメールばかりしている
・ブランド品など高価な物をもっている
・部屋にこもるようになった
・飲酒、喫煙、夜遊びなどが見られる

もし上記のようなことがあなたの子どもに見られたら、子どもが親に気づいてほしい変化のサインである場合がある

子どもを育てることは親としての成長でもある

子どもを育てることは親としての成長でもあるのです。辛いときはこの言葉を思い出してください。「親は、子どもを育てるなかで親になっていく」

子どもの反抗とは

子どもの「反抗という甘え」には、すべてを受け止めてあげれるだけの度量が求められる。子どもの攻撃的な言動や反抗を前にして親がいちいち狼狽していたら子供はもっと不安になり歪んで育ってしまう。子どもの反抗は自立に向けて必然的なものであるし、その意味で反抗とは「いま、私を自由にして、そっとしておいて」というメッセージでもあるのです。子どもの反抗は親にもぶつかっていますが、自分ともぶつかっているのです

親の言うことをよくきく子どもの裏

思春期に子どもが親の言うことをよくきく子であれば、それには特別に目を向けるべきである。親の言うことをよくきく子であれば、子ども自身がどうなりたいかよりも、親の価値観や期待の方向にばかり、関心とエネルギーがふり向けられている可能性があるからだ。しかもこのタイプの子どもは、自分の世界を親が受け入れてくれるものかどうかもよくわかっているものだ。じつによく親を見ているので、親の出方を知っているのだ。そして受け入れてくれないと悟ってしまうと、反抗よりも、親にあわせて演技するほうを選ぶことがある。ふだん自分の考えが抑えられているだけに、こういう子どもほど溜め込まれたエネルギーが暴発すると大きくなる

子どもが自分で判断していける力を手助けする

親の考えにただうなずくのではなく、自分の考えや「イヤだ」ということをはっきり意思表示できるのは、とても大切なことである。日頃から、自分の感じたことや考えを言葉にして伝え合おう。子どもが間違ったことを言っているからと、頭ごなしに否定してはいけない。むしろ、親と違う考えを言えることは、喜ぶべきことなのだ。それは、自分の考えをしっかりもち、自分で自分を守れる人に育つ一歩なのだから。大人ができる大事なことは、子どもが自分で判断していける力を手助けしてあげることだ

子どもには休める場所が必要

子どもには、どんなに傷ついても苦しんでも、自分には帰ってからだや心を休める「場所」があるという安心感が得られることが大事

子どもへの「支配」を解く

思春期の子どもには、「これ以上自分を支配しないでほしい」という自由への意思もある。そこに親が「どうしたの」「話してちょうだい」と迫ると、子どもはますます激しい怒りにとらわれる場合がある。親の思いどおりにしようとすることをやめて、子どもには自分のことは自分でやらせるようにし、本人のことを必要以上にかまい過ぎないことが大切である

受けとめてくれる人の存在が子どもの「居場所」になる

親としては、わが子に失敗がないようにと𠮟ってしつけているつもりだが、それが子どもの育ちを邪魔してしまうことがある。しかも子どもたちは、そのことを口で説明できないぶん、反発や問題行動であらわす。そして、ますます𠮟られ、わかってもらえず息苦しくなっていく。子どもにとって安心できる「居場所」というのは、自分のことをありのままに見て、受けとめてくれる人がいるところである。それが家庭にない場合、子どもが、外に居場所を求めてさまよいはじめても、ある意味仕方のないことではないか。思春期の子どもは、もはや力づくでどうにかできる存在ではなく、心の納得が大事であるはずだ

子と親は一緒に育っていく

「子どもは自分のもの、言うことを聞くのが当たり前」ではなく、子どもと同じ目線でいっしょに育とうと思えば、実に子どもというのは面白い存在で、たくさんのことを教えてくれます。そして、子どもの問題はお互いが育つヒントになるのです。以下に例を二つ挙げる

(例1)

きょうだいのことを嫌い、いつも嫌がらせをして、やさしくできない子がいたとする。こんな子どもに対して大人は、やさしくない、冷たい子だと思いがちである。人のことより自分のことばかり優先して、なんて自分勝手な子なんだろうと思ってしまう。でもそれは、その子がきょうだい間で同じように愛されていないと感じていることのあらわれである。親として、きょうだいに同じように声をかけていただろうか。嫌がらせをしたりちょっかいを出したりするほうばかりを𠮟って、用事も言うことを聞いてくれるほうばかりに頼んでいなかっただろうかなど、子どもたちに対する接し方をふり返る必要がある。子どもの世界は狭いもの。なかでも、きょうだいというのは、もっとも身近な仲間でもあり、親からの愛情を奪われる危険のある最強のライバルなのだ。「妹もやってるんだから」「お姉ちゃんを見てみなさい」など、親はよく、きょうだいを例にとって注意したり、説明する理由にするが、これは子どもにとっては比較されているに過ぎない。何より不平等に扱われていると受けとめ、自分を否定されたように思ってしまうのだ。つい扱いが違ったり、比較されて育つと、きょうだいどうしがライバルという存在になってしまい、勝つことが目的になる。蹴落とすこともあるだろうし、きょうだい間のいじめにもつながる。学校でも、自分のまわりはみな競争相手ということになり、攻撃的な反応を示しやすくなったり、認めるよりもハブにする、つまりいじめに走ることもある。子どもの視点で、子どものなかの人間関係を頭に置いておかなければならない

(例2)

とても仲のいい親子で、いろんなことを親に話す関係でも、問題が潜んでいる場合がある。たとえば、子どもが親に話すとき、クラスの子の話題になるとする。あの子、変わっていてひどいことをするとか、みんな私と遊びたがってケンカになるなどというグチを聞いているうちに、だんだん友だちと離れていって、子どもの元気がなくなり、そのうち学校を休みがちになるという場合がある。親は子どもが学校に行けなくなってはじめて焦り、これまでの子どもの話から友だちのせいではないかと思うが、実のところは分からない。こういった場合、原因を究明するよりも、やはり自分をふり返ってみるのがよい。普段から周囲に友だちや夫のグチを言っていないだろうか。親に長電話をして、夫へのイライラを発散させていないだろうか。未熟な子どもたちの間では、友人関係は流動的で、しかもグループ間でのトラブルはしょっちゅう起こる。今日の友人が明日の敵になって裏切られるかもしれない。そういうなかでも上手に友情を育てていくためには、グチではなく、人との違いを認められたり、共感できることが大事である。そのためには、冷静な見方、感情にとらわれない公平な見方の手本を、日頃から親が示してあげることだ。子どもは、親には自分の都合の悪いところは見せない。学校での友だち関係も、自分の都合のいい解釈しか伝えない。それは、親に愛されたい、わかってもらいたいがためでもある。けれど、それを話のままに受けて、子どもと同じように「そうなの。それならあの子が悪いわね」などと批判ばかりを言っていると、現実場面で行きづまってしまうことになる。子どものことを受け止めることは大切だが、冷静に聞いて、うまく強調して遊べるためのアドバイスをしてあげることこそ、親ができる子どもへの手助けではないか

――

子どもの問題行動におかしいと悩むとき、まず最初に自分をふり返ってみることです

親の「待つ姿勢」が子どもを伸ばす

子どもは失敗しながら学んでいく。失敗したら、またチャレンジすればいい。ゆっくりと待つ姿勢が大事である。実際、子どもは何度でもチャレンジしながら本物になっていく。そして少しずつできていくなかで、あきらめたらダメなんだということを学ぶのだ。やればできるという自信をつけていくのが大切である。子どもの失敗に対して親ががっくりなるのは親の勝手な思いに過ぎない。先に親のほうにがっくりこられたら、チャレンジする前からやっぱり自分はダメなんだとあきらめる方向に向かってしまう。これでは、いつまでたっても自信はつけられない。結果をすぐに期待せず、でも子どもの頑張ろうとする決意を信じ、うまくいかなくても、「どれだけ時間がかかってもいいから、ねばり強くやりなさい」と、大人が待つ姿勢であれば、子どもは安心してチャレンジしていけるものだ

親は子どもにとって人生のモデルであるべき

親は子どもの前ではケンカはしないほうがよい。子どもたちは親の言葉だけではなく、行動も冷静に見ている。子どもにとっての理想の親というのは、母親の愛情と父親の厳しさ、どっしりとした支え、そして親は子どもにとってそのまま自分の人生のモデルとなる人であると思う。例えば、口先だけで努力しない母親、父親との関係を大事にしない母親には、子どもは不満と反感を抱く。親は常に子どもにとって理想で尊敬できる人生の師であらなければならない。だからといって、ずるさを見せずに善人ぶるのは間違っている。社会で生き抜くためのずる賢さ、社会の辛さ、理不尽なことも全て見せ、社会で生き抜く厳しさを教えるのも親の役目なのだから。自分の非を子どもに指摘されて、「子どものくせに」と思って虚勢を張っている親には、子どもは不信を強めるだけだろう

理想の子どもと理想の親とは

この世に生を受けた子どもは、親の愛情をもらって大きくなっていくが、子どもらしい子どもに育つためでもなく、親の望む子どもになるために生まれてきたのでもない。この世のなかで、たったひとりの「自分」になるために生まれてきたのです。そして、この子がもっとも輝くのは、「自分」らしく生きられるようになったときなのだ。親は、子どもには自分らしく育っていける力があることを信じて、見守ってほしい。そのうち、「この子はいったいどんな子になるんだろう」と、楽しみに思えることができたなら、子どもにとってこれほどの理想の親はいない

育ての流儀

・嘘でほめることをしない。指導するために相手をよく見る。いいところはいい、悪いところは悪いとはっきり指導する。相手を混乱させないために
・悩んでいるときこそ自分の意志で進ませる。「自分が選んだ道なんだ」と。変えるのはいつでも「納得」から始まる
・質問に対して「おまえはどう思う」と問う。自分で考え抜く大切さを教える。分からなかったら教えてくれる、そんな甘さでは職人ではない。言葉で技術は伝わるがそれ以外の人格などはその人とずっと同じ場にいることでしか学べない
・ある小学校教師は「ほめ言葉のシャワー」と「成長ノート」を実施している。ほめ言葉のシャワーは教壇に立った一人の生徒をみんなでほめるというもの。これにより自信が生まれる。自信のなさから生まれるいじめをなくす。成長ノートは生徒が思ったことや成長したことをノートに書く。普段口にして言えないようなことも先生は知ることができる。大事なのは自信をもたせること。そのためには周りからの支えや反応が“安心”となることが大切だ
・非行少年少女の教師は、寄り添って話を聞き続ける。「死にたい」という言葉でも「寂しい」の死にたいなのか「助けて」の死にたいなのかさまざま。それを見極め、手を差し伸べるタイミングを見計らう。そして差しのばした手は絶対に引っ込めない。何があっても関わろうとする

子どもが大人になるにつれて

・慣れから感動が減っていく。喜びが少なくなる
・知能が発達するにつれて、相手の気持ちも考えて自分のいいたいことを我慢するからストレスがたまっていく。ある程度先のことも予測してしまうから感動が少なくなる、いろいろ杞憂してしまう。思考が複雑化しているからマイナス感情の尾をも引きずる

受け入れられるという幸せ

子どもの好きなようにさせるという親の考えは甘いと思う。やりたいことはやりたい、やりたくないことはやらない。これでは自分の思いどおりにいかないことのほうが多い社会ではついていけない。子どもにとってのほんとうの幸せとは、親がいないところでも、子どもがしっかりと周囲に受け入れられて生きていけることではないのか

あなたがどんなふうになろうと、私はあなたに失望しない

親が子どもに与えるべきは、何かうまくいかなくてもがっかりされないという安心感。がっかりされながら育ってきた人は、自分の存在そのものに自信がもてるわけがない

親の都合

たとえば、新しい家に犬をつれて引っ越しをしたとする。犬らしい犬は、その大切な新居にオシッコをひっかける。犬のこの性質を否認したらどうなるか。主人にとっては、よい犬かもしれないが、犬はおかしくなるであろう。親が子どものよい点のみを受け入れ、悪い点を否認するのは、これと同じである

大人になって歪んでしまう人

「親の愛情とは、子どもによって生まれてくるものではない。もともと親の中にある愛する能力が、子どもに触れて、現実化してくるものである」なのに愛されなくて自分が歪んでしまうのはどうして

あなた(親)にとって、家の社会的体面は、子どもの個性よりも大切なのですか?

失敗とストレス

周囲に受け入れられている人が失敗することと、受け入れられていない人が失敗することとは、まったく意味が異なる。受け入れられていない人は、失敗するかもしれないと思えばストレスを感じるであろうし、失敗すればそれに苦しむ

ダブルバインド(“グレゴリー・ベイトソン書付”)

ダブルバインドとは、母親によって子どもが二重拘束、つまり身動きのとれない心理的葛藤の状態となること。簡単にいうと、母親が子どもに対して何かをするようにといい、と同時にそれはしてはいけないと命令すること。母親はなぜ矛盾した二つのメッセージを送るのか。子どもは母親にとって喜ばしいものであるとともに不安の種でもあり、自分の思うとおりにいかないときに敵意すら感じる。しかし、その敵意を上手に受け入れられない。その結果、敵意は抑圧され、自覚されないままになる。そうした抑圧に気づかないまま母親は子どもに敵対的な行動(~してはいけないという教育など)をとるが、子どもを愛しているとも感じているので敵対行動をとるときに、愛情深さを装う行動も随伴させる。このように母親の子どもに対するアンビバレンスなメッセージがかえって子どもを混乱させてしまうのだ。これは両者を置き換えてもいえることだと思う。つまり母親の存在も子どもにとっては重要なことで喜びの種となる一方、怒らせてしまわないか、愛されなくなるのではないか、などという不安の種も付きまとっている

a 治療的ダブルバインド

治療的ダブルバインドはダブルバインドを積極的に利用することで精神治療に役立てようとするもの。矛盾する指示に対する二者択一的な状況に、相手を置く点では通常のダブルバインドと同じであるが、そのどちらを選んでもよい結果となる(勝つ)ようにする点が異なる

兄弟別性格傾向

兄弟の出生順位と性格の関係を示す考え方はいくつかある。ここでは親の一般的な兄弟の育て方によって子どもはどう育つかに沿って考えていく

a 長子の性格傾向

最初の子どもを育てることは、親にとっても最初の経験。新しい事業をはじめる不安と喜びの交差するなかで、親は精一杯子どもに注意と関心を集める。長子は豊かな愛情をもらって素直におっとりと育つ反面、下に兄弟姉妹が多い場合には、中間管理職として部下をまとめ、上司(親)に仕えるということで、気働きの上手なしっかり者に育つ訓練を受ける。順当に育てば性格もそのようになる

b 中間子の性格傾向

中間子は総じてハンデを抱える立場にある。兄とけんかをすれば「お兄さんに逆らって」と𠮟られ、弟とけんかをすれば「お兄さんのくせに」と𠮟られる。何をしても認められることが少ないので自尊心の低下を招く。それをカバーするため、すぐに黙りこんでむっつりした態度をとったり、目立つことをして自分を守るか、両極端の態度をとるようになる。こうした態度はストレスが強いので、夜尿のような症状でそれを発散するといわれている

c 末っ子の性格傾向

末っ子は二つの面をもっている。末っ子は永遠に家族の甘えん坊なので、その立場をうまく使って人に甘えることで、人に気に入られる甘えっ子となる一方、自分の思いや考えが簡単に許容されるのでそれに慣れてしまい、いつも無理にでも自分を通そうとするわがままっ子になることも考えられる


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