忘却

忘却とは、意識が無意識のほうへ追いやる抑圧メカニズムの一種であり、忘却が思い出したくない理由があってのことだとすれば、自分を守る手段の一つともいえる。しかし忘却の問題は、なかなか複雑である。これは単に記憶していないということではないからだ。人間にはもの忘れとは異なる奇妙な忘却、すなわち、ある期間やある部分についての記憶の欠如があり、これを健忘という。そのうちの心因性の健忘には、その間のことをまったく覚えていない完全健忘と、心的外傷のような事件、すなわち特定の人、場所、状況のみ思い出せない部分健忘とに分けられる。このような健忘にも、やはり何らかの思い出したくない理由があってのことだと考えられる。人は、忘れられるからこそ生き続けられるのかもしれない

他忘却の原理[ほかぼうきゃくの原理]

何かをやっているとき、何かを忘れている。これが人間というものである。これを他忘却の原理という

満足感の無思考効果(“満足感”)

満足感は現状維持を望み、無思考効果を生み出す。これを満足感の無思考効果という

循環忘却法

忘れさせるには新しいことをどんどん覚えさせる

もの忘れの思い出し方

ふともの忘れをしてしまったときに、なんとかして思い出そうと頭をひねってみても、結局は思い出すことができない場合は多い。これを思い出せるかもしれない別の方法がある。二つ

/a 関連知識の想起

思い出したい対象のことに関する知識をできるかぎり思い起こす。たとえば国名を忘れてしまったとしたら、その国のシンボルや都市名や特産品などを列挙してみる。手当たりしだいに手をのばすように、そうすると、国名を思い出す糸口をつかむことができるかもしれない

/b 代理の名前をあてがう

ひとまず思い出す行為をやめて、どうしても思い出すことができない対象に対して、ぱっと思い浮かぶかぎりの代理の名前を並べ立てる。この代理の名前を作るときは、長く思案してはならず、直観や瞬間の感情に頼っておこなうのが望ましい。この並べ立てられた代理の名前たちの中でも、とくに瞬間的な思いつきによって当てはめられた単語は、思い出すことができていない対象と一番関係が深いとみることができる。そもそもなぜこのような、思いつくままにあてがわれた代理の名前が対象と関係をもつことになるのかについてだが、これは夢の解釈に用いられる言語連想法と同じ原理にもとづいている。つまりある刺激や認識に対し、それについての思考が行われるまえに先立って、経験やそれにともなう感情などが記憶として意識され、それが先入観としてつき、そしてこのあとに思考が行われるという、認識過程があるからである。ここで記憶として昇ってくる経験やそれにともなう感情は、コンプレックスと呼ばれているもので、強い感情をともなった観念の集合体なのだ。このコンプレックスの働きは、その瞬間には本人にはわからない。つまり無意識的なものである。哲学の分野で呼ばれている、先入観を指すこの「所与(思考の働きに先立ち、意識に直接与えられている内容)」の働きがもし実際にあるとしたら、思考を始める以前のこの先入観の内容について、次のような推測を立てることができる。たぐり寄せるようにして言語化された代理の名前は、思い出すことができない対象の言葉について、所与の領域において、何かしらの関係を持っているかもしれないのであり、それは類似、対称、手近なアナロジーなどの意味で示せられる関係であるかもしれない。言語としては思い出すことができない対象にしても、これに今のところ取ってかわる役割をこなしている代理の名前にしても、この二つには、同じ目的、すなわち同じ観念を言語化しようと試みるような目的の連合が一致している点で、関連性が高い。ここで言語化のはたらきは、思考野か所与野のどちらですまされるのかは今のところ分からないが、それにしてもこのはたらきが、思考を使って、つまり私たちが意識して意図的にコントロールできるものではないようである現実をみると、どれほどか所与の部門にかかずらっていると考えてみることは、それほどいいかげんな憶測ではないように思える。そう考えると、思い出せないほんとうの名前も代理の名前も、「所与」の内容は互いに関係をもっているとみなすことになる。たとえば思い出せない名前が「白」という言葉であったとしたら、代理の名前のいくつかには、対称の関係をあらわす「黒」や、「色」や「雲」といったような特定の類推の関係をあらわす言葉が思い出されるかもしれない。「白」にとってはこれらの代理の名前は、どれも何かしらの関係をもった、というよりとりわけ関係が深い言葉が、選ばれている可能性を無視できないと思うのだ


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