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目次
映画:君の名は。(2016/日)
素直に感動した。大ヒットするのも頷ける。この映画を観て改めて、自分にとって大切でかけがえのないものを、大切にして人生を生きようと決意するきっかけになった。それはそれぞれが自分にとって大切でかけがえのないもの、最愛の人、物、思想、何でもいい。あなたが自分にとって一番大切なものを一番大切にしよう
私にとって一番大切なもの、それは思考学と人である。思考学、それは自分であり、一つの思想である
この映画のクライマックス――立花瀧が宮水三葉を救うために過去を変えようとするシーン――から終盤までずっと泣けた。一番感動したシーンは、彗星が落ちる前日に三葉が瀧に会いに東京へ行き二人が電車で向かい合わせになる場面。三葉は瀧に会えて喜んでいるのに瀧は三葉を知らないという、この映画のキーワードである“すれ違い”を象徴しているシーンである
今後、地上波で放送されるときは必ず録画してもう一回観ようと思う
映画:泥の河(1981/日)
前作に観た「自転車泥棒」(直下)につづき、同じ友人から今度はこの映画を渡されました。名作とだけ言われていたのですが、それ以外のことは聞かずに、なるべく先入観なしに観ようと思いました――これが私の映画を観るスタンスでもあるのですが
ストーリーも結末もどんな人が出てくるのかも分からないまま観始めたので、いろいろとストーリーをつむぎ合わせるのに、よく長めに映された演者たちの表情がその助けになりました
登場人物みんな優しい人たちで、とくに主人公ののぶちゃんの両親がやさしくて思わず顔がほころびました。三人の子どもの役回りがすばらしくて、この三人がこの映画の中心であるのでしょう。彼らは子どもながら、しかし自分の感情については多くを語らずにただ無表情に見つめているのがほとんどで、そのために彼らの内心を想像することがこの映画の特徴の一つでもあると思います。この三人のなかでもとくに心情をつかみにくかったのが姉の銀子ちゃんで、洋服をつきかえすと思ったら今度は笑いながらお風呂を楽しむので、私がこの子に抱いた印象は“可愛い”というのと“神秘的”のふたつでした
印象に残ったシーンは二つ。一つはきっちゃんが学校の校庭で砂遊びをしながらのぶちゃんを待つシーンで、自分の穴のあいた靴に砂を入れてそれをたらしたとき、砂の山ができていくところがなんとも切なかったです。もう一つのシーンは子舟が行ってしまわれたときに母親に「のぶお!」と呼ばれてから「きっちゃん・・」とつぶやいてとび上がるまでの間[ま]です。この間でのぶちゃんは父と見つめ合うのですが、そのときののぶちゃん(ときっちゃん)の心情を想像すると感慨ぶかいですね
また、きっちゃんが自分のせいでのぶちゃんに迷惑をかけたときに(のぶちゃんの友達の家に一緒に遊びに行こうとして結局二人とも行けなかったときや、祭りを、きっちゃんのポケットに穴が空いていたためにお金を落としてしまって楽しめなかったときなど)、きまって見せるはにかんだようすも個人的には印象に深いです。たしかに終わってみれば、劇中にこういった表情だけでセリフを言わないシーンが多かったなと思いました
さすが名作とよばれるだけありましたね。この映画、画質がわるいのでもうすこし画質良くしたモノクロ映画だったなら、さらに情感豊かに仕上がったのかなと思います
映画:自転車泥棒(1948/イタリア)
友人のすすめでDVDを渡されました
シンプルで一貫した内容でおくられるが、そのせいもあってか、深く感情移入してしまいました。戦後の人々が苦心して生きる姿をリアルに描くという、監督の意図はしっかり伝わってきました。名作といわれるだけありますね
映画:SP THE MOTION PICTURE(野望篇/革命篇)
テレビドラマSPの劇場版
野望篇と革命篇の2部作からなる
テレビドラマを前に観ていて、いつか劇場版を観たいと思っていた
今回フジテレビがニ夜連続で放送してくれた
毎度のことながら井上のしかめっ面のシーンが多いなという印象
革命篇は野望篇に比べてアクションが少なめで、話メイン
演出として、先に種石をぱらぱらとばらまいておいて、後で一括で回収したり大事な伏線になっていたりする
この演出はうまいなあと思った。観てて話に引き込まれる
ただ革命篇のラストは謎を残しすぎだと思った
続編はないみたいだし、自分で考える必要があるんだけど、これは相当難解なストーリーだと思う
手紙の内容も気になるし、政治や尾形・井上たちのその後もどうなったか気になる
映画を観ていて、制作力入っているなと思った
謎が解けないのはもどかしいけど、いつのまにか引き込まれていて面白かった
この映画を観るならテレビドラマから観たほうがいい
映画:スフィア(1998/米)
ジャンルはSF映画となっている
キャストは豪華だが、それ以上に内容が良かった
スフィアは、中に入った人が想像することを現実化してしまうもので、
それは夢が現実になったりと、うまく使えばすばらしいものだが、恐怖や憎悪などの想像も現実化してしまうので、扱う側の能力によって味方にも敵にもなる代物
後半まではこのスフィアの正体を明かさないままストーリーを進行させていったが、
スフィアによって起こる現象をあたかも現実の出来事のように思わせるという演出がすごい
唯一の手がかり、といっても私が感じたことだから他にもあるかもしれないけど、ハリーがスフィアから目覚めたときの食事のシーンで、やけにおしゃべりで様子がおかしいなと思った
劇中で実際にスフィアに入ったところを見せてくれたのは三人のうちハリーとノーマンだけ
スフィアのからくりが分かったとき、ベスだけが正常なんだと思ったけど、これも間違い
実はみんな入っていた
みんな、スフィアに入った後の異変のシーンをどこかに入れてある
ベスのシーンは、
ノーマンがコントロール室に居ろと言ったのにベスは食糧を探しに宇宙船へ行ったところ
ノーマン「もしなんかあるとしたって、300年前の食糧だろ?」
ベス「でも食べられるものがあるかもしれないじゃない。熟成したボルドワインとか」
このシーンでベスの異変に気付かなかったら後々に続く意図した演出にどっぷりはまっちゃう。ちなみに私はそれにはまった
ベスだけが正常だと信じていたから、ノーマンを殺そうとしたところもベスが正しいと入信していた
見事に制作者側の意図した演出にはまって、世界に引き込まれていった
その演出のレールはとても精巧で、列車に乗っている私はまったく揺れを感じない。まるで列車に乗っていないかのように
演出も上手かったが、ストーリーも上手かった
スフィアというものを通して、人間の愚かさ、未熟さ、そして素晴らしさをメッセージにしてきた。それは十分に理解することができた
内容とメッセージに不整合性がなく、すんなりと伝えたいことが伝わってきた
まさにこのシーンだ
ハリー「俺達には早いんだ」
ノーマン「人には、想像力というパワーがあるが、それを普段人間はどう使ってる?」
ノーマン「僕らは、やっぱりまだ未熟だ」
自分達は未熟だが、それに気づいたことは自分達の素晴らしいところでもあるんだ
ストーリーの構成、演出、演出のからくり、メッセージ性、これらが上手くできていた映画だ
よってこの映画を特特別枠にしよう
ちなみにここだけの話、A級の特別枠にしようかとも迷った
それだけすばらしい映画だったってこと
映画:エスター(2009/米)
サスペンスホラー映画
友達からのおすすめでTSUTAYAで借りてきた
そのTSUTAYAではサスペンスジャンルになっていたけど、観終わった私としてはこれはばっちりホラージャンルだと思う
犯人が分かっているにもかかわらず恐怖や気味の悪さを感じるのは演出の上手さの体現
ホラー演出は劇中にいくつもあり、というか断続的に続くからホラー演出の多さとしてはもう満載といったところだ
視聴者に与える心理も、恐怖だけじゃなく、犯人が分かっているのに周りの登場人物は分かっていないというもどかしさも与える
映画でこのもどかしいという感情を抱いたのは久しぶりだ
映画「フライトプラン」もそうゆう心理だった
手話を習おうとしたり、ピアノを教えてほしいとお願いしたりと、家族として迎え入れる初日にしては社交的で明るい普通の女の子
ここでは微笑ましいくらいに幸せなシーン
後になってこことの対比を思うとほんと演出の上手さを思う
エスターのことを話すのにどうしてエスターがいる家で話すんだ。三人とも頭がおかしいんじゃないか
傷を深くするために万力で自分の腕の骨を折る、これはやばい。自分も他人も操作するエスターは頭が良いのか悪いのか
父親役のキャスティングがいい。優しく良識な顔もありながら、悪や洗脳されているような顔も表現できる
役者はピーター・サースガード
エスターは相手を落としめるためには自分を傷つけることもいとわない、こうゆう犯人は初めてかも
wikiに書いてあった、
「マックスを演じたアリアーナ・エンジニアは、実際に聴覚障害を持っており、作中に披露する手話や読唇術も普段から使用している」
映画:ダークナイト
ダークナイトは前に観た映画
感想は書いていたんだけど、そのままだったから今回ここに載せた
映画「ダークナイト」
いいぞ。まったくもって
最強。最凶。最狂
最強はダークナイト
最凶はジョーカー
最狂はトゥーフェイスとなる
それにしてもジョーカーの悪者ぶりは天空の極まりを悟った
まさに残虐非道
恐怖の絶無はまさしく悪に必要な要素として彼の方寸にある
これは現実にはあってはならないまさに禁忌の固まりであり、ゆえにおもしろい
それは物語の特性としてある一つの属性だ
語り手は何をもってどうすれば、聴衆を満足させられるのか
人工――
その対義語は自然であるかもしれないが、今回はそうじゃない
便宜上ガジェットを採用しよう
いずれも内容は変わらない。変わったのは言い方だけだ
だが私たちはそれで物事の区別をつける
外装が違えばその見分けをつくことは大抵叶わないことだが、その例外には別の使用法があるだろう
そう、区別だ
まったくもって賢い利用法だと言える
閑話休題、ガジェットに対義語を造成させよう
人工の反対が自然、ならばガジェットの反対はそう、物語にほかならない
物語――
あの畏怖と尊崇と憧憬をもって語られるオカルト的存在にして不明瞭な属性の「概念」に密接なる因果関係を波及する存在である
私はそう考えている
語り手がなにを聴衆に意図しているかはここではまだ語らない。いや、語るべきではない
それを語ってしまっては非常につまらなくなる
ちょうど肉のないロールキャベツ、ミッキーのいないディズニーランドのようなもの
世の中には生きていくためだけなら知らなくていいことが多すぎる
だがそれを知ることが大人だと言うのなら、私は大人にはなりたくはない
時には知らなくていいことを知ろうとすることで自らを無意識のうちに不幸に陥れることだってある
物語――
それは実に神秘的であり、概念的である
私がちょうど五穀豊穣の神で非愛で明達で、そしてサクセスストーリーの請け負い人であったなら話はすべからく別の顛末を遂げていただろう
だがここは現実
物語ではない。これはミソだよ
さて、ジョーカーの存在意義について心ゆくまで喋くったところで、感想のシメに入ろう
次回作「ダークナイト ライジング」が観たい
面白かった
映画:ストレンジャー・コール(2006/米)
この映画はずいぶん前に観た映画
ストレンジャー・コール(2006/米)
私が初めて出会った本格的ホラー映画
それまでにはいくつかホラー映画を観てはいたんだけど、このようなホラー映画は初めてだった
ジャンルはショッキング・ホラー
それからというもの、私の中で印象に残ったホラー映画となった