目次
自己紹介
↑2012年9月2日撮影。撮ってくれたのは妹です
はじめまして、Myus[ミューズ]と申します!
最初にこの『Myus’s memory』(【M/m】)というサイトについて説明しておきますね
このサイトは私の人生と思考と記憶のパートナーです
したがって、みなさんに限らずこの私もですが、このサイトを見ることはそれを垣間見ることと同じであります
ジャンルは幅広く、あえて限定はしていません。当サイトはおそらく日記型ブログに近いのかもしれませんが、私としてはこれは新しいジャンル「人生系ブログ」だと命名しています。当サイトのサブタイトルは「記憶を記録する新しい人生系ブログ。通称【M/m】」です
通称【M/m】は『Myus’s memory』の頭文字Mとmをとった略称です
さて、Myusですが…
・1993年/平成5年 1月9日生まれ 男
┗2016年現在は23歳
・東京葛飾区 在住
身長:166.5cm
体重:55kg
胸囲[チェスト]:85.5cm
胴囲[ウエスト]:67cm
腹囲(おへそ回り):68.5cm
腰囲(腰骨回り):72.5cm
ヒップ:87cm
股下(足首まで):69.5cm
股下(かかとまで):76.5cm
股上(腰骨から股)18cm
肩幅:44cm
袖丈(肩から肘):30cm
袖丈(肩から手首):55cm
裄丈(首から肘):52cm
裄丈(首から手首):77cm
もも回り[ワタリ幅]:52cm
首回り:37.5cm
ふくらはぎ回り:33.5cm
足長(右):24.8cm
足長(左):24.4cm
シューズのサイズ:25.5~26.0cm(2E)
足幅:13cm
足囲:25.5cm
甲高:8cm
出身:東京都青山
幼少-小学4年まで:児童養護施設 目黒若葉寮
小学校:目黒区立駒場小学校,港区立港陽小学校
中学校:港区立港陽中学校,稲敷市立江戸崎中学校
高校:茨城県立土浦第三高等学校 情報処理科
↑兄と数十年ぶりに再会したときの夕食会で撮った一枚。左から兄、私、俊介君(兄のお友達)
↑2012年の秋に西日本へ1ヶ月半の一人旅をしたとき、九州小倉駅にて撮った一枚。このときはちょうどB-1グランプリが小倉で開催されていたときでした
好きなもの:一人旅、温泉、純喫茶、Mr.Children、水岡のぶゆき、SONY、サミュエル・バトラー
誇れるもの:食べ物の好き嫌いがないこと、どんな人であっても興味が湧くこと、孤独を気にしないでいれること
性格:自由・マイペース、一人が好き
今まではコンタクトレンズ(クーパービジョンの「Biofinity」)使ってましたが、最近はメガネにしています
今は一人暮らしです
和歌山県紀伊田辺の実家にお気に入りの猫がいます。いっちゃんといって、真っ白で大きい家猫です
このいっちゃんにもハナちゃんという妹がいて、私もとても可愛がっていたのですが、ハナちゃんは数年前に交通事故で亡くなってしまいました
いっちゃん特集もさせていただきますよ! ぜひご覧ください
┗西日本の旅46日目(11/19)/実家のねこ いっちゃん
┗和歌山帰省 番外編~猫のいっちゃん特集~
――
当サイトに対するご意見など、Myusに御用のある方は「お問い合わせ」フォームからお願いします。記事についての感想はそれぞれの記事下のコメント欄からお送りください
また、当サイトの全体構成や全体説明については「サイトマップ」を見ていただくとよく分かると思います。「サイトマップ」にはカテゴリーの概要説明や当サイトURLの構成説明も書いてあります
このサイト共々、末永くMyusをよろしくお願いしま~す
趣味紹介
趣味を紹介します。趣味一覧にて[»]の付いているものは下記にその趣味について詳しく書いてあります
※上から新しい順。“――”は過去の趣味をさす。“[»]”は下記に詳述有り
・大食い番組(22歳-現在)
・スポーツ番組の観戦[特に高校野球、プロ野球、サッカーなどが好き](21歳-現在)
・一人旅(19歳-現在)
・温泉(19歳-現在)
・食べ歩き(19歳-現在)
・純喫茶巡り(19歳-現在)
・料理(18歳-現在)
――・オカルト(怖い話が好き)(18歳-19歳)
――・映画(17歳-20歳)[»]
・テレビ(16歳-現在)[»]
・音楽(14歳-現在)[»]
――・アニメ(14歳-17歳)
・アイス(10歳-現在)
――・オセロ(トランプも好き)(8歳-18歳)
趣味:音楽
私が好きなアーティストは、邦楽ではMr.Children、洋楽ではyellowcardです。そしてピアノでは水岡のぶゆきが好きです
特にMr.Childrenは私が音楽を聴きはじめるきっかけになったアーティストです
Mr.Childrenとの出会い
中学3年の夏休みが始まる前、
私は茨城への引っ越しが決まっていて、最後に(当時はそのつもりはなかった)いつも行っていた友達の家に行き、4人くらいの友達とわいわいがやがやしていた
みんなそれぞれ遊んでいた感じで、友達の一人がそこで初めて音楽を聴かせてくれた
それまでの私は音楽などは外で流れているものを聴き流すぐらいで、自ら好んで聴くなんてことはなかった
その当時はモンスターハンターが流行っていて、私もその友達もPSPを持っていた
友達は、「せっかくだからPSPに音楽一曲入れてあげるよ」と言って私のPSPに音楽を入れてくれた
そこで聴いたのが、音楽との出会いだった
初めて聴いた曲であり、今なお一番好きな曲なのです
Mr.Children「HERO」
初めて友達から聴かされたときは、「ふーん」くらいにしか思わず、結局それから数日経って茨城に引っ越していった
向こうでの中学3年の夏休みの生活は私の学生生活史上最悪だった
ふと私はPSPに入っているあの曲を思い出した
Mr.Children「HERO」…
再び聴いてみた
この曲の素晴らしさに涙が出た
もう一回聴いてみた
もっと聴いてみた…
それから寝るときもずっと聴いていた
音楽を聴いているときが私の楽しみだった。あとモンハンもあった
HEROを何度も何度もリピートしていた。この曲だけしかなかったというのもあったが、実際この曲だけで十分だった
ここを通して私とHEROは切れることのない絆で結ばれた。HEROは私の一生ものの名曲になった
何百回と聴いた今でも、たまに聴くと涙が出る
ここを始原として私はMr.Childrenを好きになり、色んな曲も聴いていくようになった
初めて買ったCDがMr.Childrenのその当時発売されていた「HOME」というアルバムで、CDショップに親が用があるからって寄ったときに偶然見つけて、Mr.Childrenのアルバムを欲しいとおねだりして買ってもらった。ちなみにこの「HOME」というアルバムは俳優の山崎賢人が初めて買ったCDでもある。山崎賢人は青春の一曲に銀杏BOYZの「BABY BABY」を挙げており、私もこの曲は好きだ
「HOME」の次は「SUPERMARKET FANTASY」、そして友達に以前のアルバムをごっそり売ってもらって全てのアルバムを揃えた
洋楽パンクとの出会い
洋楽パンクとの出会いは高2の時、友達にその友達お気に入りの曲をいくつかトランセンド(音楽プレーヤー)に入れてもらったことからです
初めて聴いた洋楽の曲がSUM 41の「In Too Deep」という曲
この曲はSUMの中でも穏やかな曲なんだけど、「パンクってかっこいい」ってその時は思いました
次はGreen Dayの「International Superhits」を借りました
気に入ったのは「Poprocks & Coke」と「She」
そこからです
掲示板から洋楽パンクmp3曲を集めまくりました
その中には今お気に入りの洋楽アーティストたちがいたわけですね
まず最初に私の前に現れたのが「Linkin Park」。きっかけの楽曲は「What I’ve Done」や「Given Up」
今の一番のお気に入りは一生ものの名曲「The Messenger」
「The Messenger」という曲に出会って本当にパンクを聴こうと思ってよかったなと思います。何度聴いても涙が出ます。後にも紹介しますが、yellowcardの「Miles Apart」とこのLinkin Parkの「The Messenger」は一生忘れることのない思い出の曲です
次はSUM 41ですね。きっかけの楽曲は「In Too Deep」や「Underclass Hero」や「Walking Disaster」。もっとあるけど書ききれない
今の一番のお気に入りは「Best of me」
そしてyellowcard
yellowcardは実際、初めて聴いてからずいぶん長い間お気に入りに入っていたわけではありませんでした
初期にトランセンドに入っていたのは「Way Away」「Breathing」「Paper Walls」など
でも全然好きでもなかったから、ほんとにデリートする一歩手前まで来てました
そのときちょうどレンタルで安価にCDを手に入れることができたので、
「一つだけアルバム聴いてみるか。それで決めよう」
と思ってレンタルしたのがアルバム「Ocean Avenue」
ここで初めてyellowcardの素晴らしさに気づいたのです。そしてはまりにはまった
聴く全てのアルバム、全ての曲がかっこよすぎて素晴らしすぎた
今のお気に入りは挙げればきりがないけど、強いて言うならば、「Only One」や「Miles Apart」、「Back Home」など。特に「Miles Apart」は私の中で神曲です・・・
ピアニストの水岡のぶゆきは、テレビ番組「秘湯ロマン」を観ていたつながりで知りました。それからCDを買っていい曲にたくさん会うことができました
ピアノ曲が好きになったのも水岡のぶゆきがきっかけです
水岡のぶゆきを好きになるきっかけの曲が「夢桜」という曲です。この曲も好きで、他にも「彷徨い人」や「エチュード」という曲も好きです。「春めぐりて」は水岡のぶゆきの数々のお気に入りの楽曲の中でもトップクラスに好きな曲です。現に「春めぐりて」は「一生ものの名曲」に登録されていますからね。CD発売前だというのに名曲入りになったのは異例のことです
他の好きなピアニストにLes Frèresがいます。Les Frèresは兄弟二人のピアニストです。Les Frèresもたくさん好きな曲がありますが、最近特に好きな曲が「Flower Dance」という曲です。この曲は聴いているだけで自然と体がノリノリになってくる。すごい好きですこの曲は
お気に入りの楽曲
※リンクはYouTube
※各項目中は上から古い順
★私の一番好きな楽曲★
★一生ものの名曲★
・The Messenger/Linkin Park
・Miles Apart/Yellowcard
・春めぐりて/水岡のぶゆき(一生ものの名曲殿堂入りがCD発売前だったという異例の曲であり、また一生ものの名曲の中においてさえトップクラスのお気に入り曲です)
┗収録アルバム:未発売
・Brilliant Crown/the pillows
★旅の時に聴く楽曲★
・Back Home/Yellowcard(旅の曲の中でも代表曲)
・FLAG STAR/the pillows(YouTubeで曲がなかったためcover曲)
・California/Yellowcard
★それ以外の好きな楽曲★
・Only One/Yellowcard
・Best Of Me/Sum 41
・エチュード/水岡のぶゆき
・夢桜/水岡のぶゆき
・組曲《惑星》Op.32 第4曲「ジュピター」/ホルスト
趣味:テレビ
私はテレビをリアルタイムでは観ません。全て録画です
そして自分が気に入った番組のみを、毎回予約して全て観ます
だから観るものは決まっています。そうなると新しく観る番組が全く無くなってしまいます
それはまずいので、週に一度の予約確認・番組表確認の時にざっと番組表に目を通して、気になった番組があったら観てみるようにしています
この方法で出会った素晴らしい番組には、例えば「キンシオ」などがあります
今2015年11月現在で私が毎回欠かさず観ているお気に入りの番組を紹介していきます
現在も含めた過去の番組のなかで私が唯一無二一番好きだった番組があります。それが「LEADER’S HOW TO BOOK」(テレビ朝日)です
バラエティ系
今現在も放送中でお気に入りの番組
ザ・世界仰天ニュース
ザ・世界仰天ニュースは2008年くらいからずっと観続けている一番付き合いが長い番組です
医療のことについて勉強にもなるし、再現VTRも面白いです。この番組から詳しくなったことは、拒食・過食やダイエットなど
しゃべくり007
この番組も2008年からずっと観続けています。しゃべくり007も面白いから観ているんですが、ブギウギ専務などに比べると、ゲストによって面白さが左右されたりします
浅草お茶の間寄席
ちゃんとメガネをかけて画面を見ながら観なくても、声だけ聴きながら横になってリラックスしながら観れる番組です。そうゆう感じで観ているからこそ、飽きずに観続けられるのかもしれません
お気に入りだったが放送が終わってしまった番組
LEADER’S HOW TO BOOK
この番組は唯一無二でしたね。終わってしまったのが信じられないくらいでした。当時は精神的ダメージが衝撃的でした
ほこ×たて
熱くて燃える対決がいいです。で、面白ろ対決もたまにあったりして、例えばプロVSマニア対決は出てくるマニアがたまに強烈なキャラの人がいたりして面白いです。ほこ×たては実力でこのランクまでのし上がった価値ある番組です。最後は残念な終わり方でしたが…
ブギウギ専務
バラエティ番組において、その番組でどれだけ笑えるか、ということだけで言えばこのブギウギ専務の面白さはハンパないです。企画によって左右されることもありますが、ほぼ毎回面白いです。ウエスギ専務とスタッフのやり取りに加え、おおち係長が入れば最強ですね。この番組だけは何時間観てても飽きなかったです
オンバト+
NHKのお笑い番組。お笑い芸人がひたすらネタを披露するという番組です←こんな説明でいいのかな(汗
年に一回、チャンピオン大会が開かれ、その年の王者を決めます。あらゆるお笑い系バラエティ番組を見なくなることがあろうとも、この番組が最後に残ると思います
過去お気に入りだった番組
・クレヨンしんちゃん(前はドラえもんも観てました。リラックスしてても観れるので、そうゆう意味では浅草お茶の間寄席と同じです)
・ぷっすま
教養・趣味系
今現在も放送中でお気に入りの番組
キンシオ
2011年のあいうえおの旅からずっと観続けています。キンシオとの出会いは奇跡に近いものでした。普段ほとんどリアルタイムで観ない上、チバテレビというローカル地方局にチャンネルを合わせ、たまたまそこにキンシオが映っていたというのが二回もあったというこの出会いは奇跡です
私もぶらぶらするキンシオ流の旅が好きで、私はキンシオを旅の師匠と仰いでいます。ちなみにキンシオの本名は塩谷 均[シオタニヒトシ])
秘湯ロマン
2011年-
温泉女子や大人の極上ゆるり旅のように最近は純粋に温泉だけを紹介する番組が無いなかで、この秘湯ロマンはあくまで温泉メインに何湯も紹介してくれる番組です。この番組で音楽協力をしている水岡のぶゆき[ピアニスト]をここで知り、CDまで買うほどまで好きになりました
過去お気に入りだった番組
・すぽると!、S☆1(スポーツ観戦が好きだったので毎日欠かさず観ていました)
・プロフェッショナル 仕事の流儀(今の時代に、人がどう生きているのか、なにを考えているのか。それを知り、学べる番組です)
・SmaSTATION!!(私にとっては新聞代わり。世の中の流行を少し頭に入れておこうと思って観ています。しかし基本1.5倍速。飛ばす回もあります)
・探検バクモン(この番組はよく名前が変わります。よくでもないか。前は爆問学問という名前だった。普段目を向けない様々な業界の実態が知れるということだけでなく、爆笑問題のフリートーク進行も観続けていた理由だと思います)
趣味:映画
私は映画が好きです
ジャンルは特に問わないですが、マイナーな洋画が好きです。日本劇場未公開作品とか
吹き替えより字幕のほうが好きです
DVDをレンタルして観るのではなく、ほとんどは地上波でやっている映画を録音して観ます
地上波でやる映画といってもゴールデンタイムにやるメジャーな映画から深夜映画番組でやるマイナーな映画まで様々で、飽きることはないです
私が今観ている映画番組をピックアップします
・日曜洋画劇場
・金曜ロードショー
・映画天国
・ミッドナイトアートシアター
・サタ☆シネ
・ダイヤモンドシアター
・シネマエクスプレス
・午後のロードショー
観た映画をランク別に評価して記録しています。それが「映画カテ」に属しています
一番好きな映画
今まで観てきた中で一番好きな映画は、「ミート・ザ・ペアレンツ」です
ランク別評価にて唯一S級に属する「終わりで始まりの四日間」は私の一生ものの青春映画であることは確かですが、好きかどうかとはまた別です。なので「ミート・ザ・ペアレンツ」です
「終わりで始まりの四日間」も「ミート・ザ・ペアレンツ」もずっと心に残っている映画です
すきなもの、嫌いなもの
好きな食べ物/嫌いな食べ物
好きな食べ物、といっても基本なんでも食べます。私は大抵の料理は何でも美味しいと思えちゃう人です
特に好きな食べ物を挙げると、ナポリタン、オムライス、卵、ブロッコリー、和食など・・・
ナポリタンは完全にキンシオの影響を受けています。和食などの素材の味が生きているような素朴な料理が好みです。あと卵料理が大好きです。オムレツ・オムライス・親子丼とか最高。野菜ではブロッコリーが好きです。
既存の食べ物もそうですけど、特に初めて食べるもの、創作料理とかは特に興味をそそられます
そして一番好きな食べ物が、ずばり、アイスです。アイスにはもう目がないですね
かつて食べたアイスを「アイスカテ」にて紹介しています
新作とか、まだ食べてないアイスを見つけるとすぐ買ってしまいます
好きな果物、というより思い入れのある食べ物は「いちじく」です。子供の頃、両親と一緒に家のバルコニーでいちじくを育てていたからです。いちじくは夏秋旬の果物なので通年食べられるわけではありませんが、熟したいちじくはため息が出るほど最高に美味いです
嫌いな食べ物はすぐにパッと思い浮かばないですね
以前はウニとアボカドが苦手だったのですが、最近は全然普通に食べれてます。そういえばモロヘイヤは今まで一回だけ食べたことありましたが、あのねばねばはちょっと拒絶した記憶があります
―
好きな飲み物は水とそば湯
外にいるときも家にいるときも飲みものはいつも水です。お酒も弱くて飲めないので、やはり水ですね。そのかわり一日に2ℓ近くは飲みます
水以外で! って言われると思うので、一応そば湯を挙げてます。そば湯はホント美味しいですよ
ちなみにプロフ画像をずっとコーヒーの画像にしているのでコーヒー好きなイメージがあるとよく言われますが、コーヒーはめったに飲まないです
好きな動物
好きな動物はカバです
ダントツで好きです。カバは
子供の頃に動物園に行ったときに、カバのことが好きすぎてカバになりたいと思ってカバのえさを食べてお腹こわした思い出があります
まあカバは好きですが、しかし基本的に動物にはあまり自分から近づこうとは思わないです。散歩中の犬とか恐いですし。だからペットを飼うという選択肢は私の中にはないです
好きな本
・「星新一のショートショートセレクション」(星新一)
・「学校を出よう!」(谷川流)
・「精神の生態学」(グレゴリー・ベイトソン)
特に「学校を出よう!」には結構な影響を受けました
登場人物の宮野秀策は私のお気に入りのキャラの一つです
好きな色
好きな色は、黒と白です。シンプルな色が好きです
藍色もすごい魅力的な色です
ちなみに幼少期は緑が好きでした
お気に入りのメーカー
SONYとGoogleが好きです
SONYは他を圧倒する質とデザインがすばらしいと思います
「創る力を信じ、夢を実現する」
好きな芸人
好きな芸人は、サンドウィッチマンとトータルテンボスです。いずれも実力派漫才コンビですね
あと落語も好きです。チバテレビの「浅草お茶の間寄席」をよく観ています
好きな落語家は昔昔亭桃太郎と三遊亭 歌之介です
好きなもの・その他
好きな百人一首の言葉は「天つ風 雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ」。私のおばあちゃんがこの一首が好きで、幼少の頃によく聞かされたのが影響しています
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世界で一番嫌いなものはG(ゴキちゃん)です
好きなひと
・ミスチルの桜井さん(ミュージシャン)
・キンシオタニ(イラストレーター)
・キアヌ・リーブス(カナダの俳優)
・アンソニー・ホプキンス(イギリスの俳優)
・ザック・ブラフ(アメリカの俳優)
・横山由依(アイドル)
・グレゴリー・ベイトソン(アメリカの人類学者)
・サミュエル・バトラー(イギリスの作家)
ミスチルの桜井さんは単にMr.Childrenと桜井さんが好きだからです
キアヌ・リーブスはかっこいいからですね。もうすでに惚れてますけど、目下私の中では世界で一番かっこいい男です
アンソニー・ホプキンスは俳優としての演技や貫禄などのすべてのステイタスが最高レベルだから好きです。初めて彼が出ている映画を観たときは鳥肌がたったのを覚えてます
ザック・ブラフは、ランク別評価にて唯一最高ランクのS評価の映画「終わりで始まりの四日間」で主演・監督をされていた俳優です
そして私は旅をしたり散策するのが好きなんですが、私が旅の師匠と仰いでいる人がいます。それがキンシオタニ。キンシオが言った言葉は旅の底流になっています
「次の駅で降りて旅をしよう」
人生の思考の参考になった人物
たくさんいますが、ここでは特に影響を受けたひとを特記します
エルンスト・マッハ
エルンスト・マッハは、当時の物理学で絶対的理論で物理学の基礎となっていたニュートンの理論を根底から見直して、結果ニュートン力学の間違いを証明した
最初の前提が誤りだったとしたら、そこから導き出される解答は正しくない
物事を変えるにはまず物事に対する思考つまり物事を批判することから全てが始まるのだ
基本概念および基礎法則に対する批判的態度をとるマッハの精神は私に大きな影響を与えました
アルベルト・アインシュタイン
「想像力は知識よりも大切です。知識は限られています。想像力はこの世界を包み込みます」
「事実を学ぶことは重要ではなく、事実(教科書)からは学べないことを考えるように頭をきたえることが重要なのです」
「人間が頭で考えることは、すべて実現可能である」
「真理を得ようとする努力は、真理を確実に手にしていることより尊い」
「蝶はモグラではない。でもそのことを残念がる蝶はいないだろう」
トーマス・アルバ・エジソン
トーマス・エジソンは、白熱電気を開発するまでに、タールをぬったもめんをフィラメントにしておよそ2000回も失敗した
エジソンはそれを失敗とは言わず、2000通りの実験の積み重ねがついに一つの成功を生んだと言った
孔子
「子曰く、三軍も帥を奪う可きなり。匹夫も志を奪う可からざるなり。」
訳:「先師がいわれた。どんな大軍でも、その主将を討ち取ることができないことはない。しかし、平凡な一人の男でも、その志まで奪い取ることはできない」
「兵を去てん。食を去てん。民、信なくば立たず。」
民衆の信頼がなければ国の政治は成り立たないということ
政治をおこなう上で大切なものとして軍備・食生活・民衆の信頼、の三つを挙げ、中でも重要なのが信頼であると説いた
「子曰く、学びて思わざればすなわち罔し。思いて学ばざればすなわち殆し。」
訳:「思いて学び、学びて思う」
福音記者マルコ
「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」
カール・グスタフ・ユング
「ある人に合う靴も、別の人には窮屈である。あらゆるケースに適用する人生の秘訣などない」
人の価値観に強烈に訴えかけるユングの言葉。客観とは、そして主観とはなにか
エトムント・フッサール
「意識は常に何かについての意識である」
生い立ち
出身は東京都青山です。正直ここのところは曖昧ですが
両親は私が小さい頃に離婚して、私は父に引き取られ、母は兄を引き取っていきました。父は仕事もあるし、私はまだ小さかったので児童養護施設に預けられることになりました
3歳くらいの頃に東京の目黒区に来ました。子供たちが共同で生活する寮に入りました。親とは別々です
小学校では元気いっぱいの男の子で、たくさん友達を作って遊んでいました
学校以外でもクラブをやっていて、サッカーのゴールキーパーと野球をやっていました
サッカーはそこそこできていたんですけど、野球はなかなかの下手くそで、特にフライが苦手だったのです
なのになぜかポジションはライトでした
小学4年生の夏、そのときにはすでに小学5年生になったら別の地へ引っ越すことが決まっていました
だから最後の野球の大会なのです
確か2回戦目だったと思います
私も子供ながらに意気込んでいました
試合は午後からだったので、試合前にワゴン車の中でみんなでお昼ごはんのおにぎりを食べました
一人三つ―――
そのときに食べた銀紙に包まれたあのおにぎりの味はいまでも忘れられません
いつまでも心に残る思い出の味です
そして試合直前、応援に来てくれたおばさんが作ってきたはちみつレモンを食べました
甘酸っぱい味でした
試合ではライトを守り、打席にも立ちました
覚えていることは、下手くその私がその試合で初めてヒットを打ったことです
右打者で、やや詰まったボールでしたが打ち上げながらもレフト方向に飛んでいきました
打った瞬間、歓声が上がったのを覚えています
私はファーストまで進み、後続がアウトになってチェンジしましたが、あの私が試合で初ヒットを打ったということにみんな驚いていました
のちにクラブ内で表彰状をもらいました
小学4年生も終わった頃、ついに別れの時が来ました。父が施設に来て私を引き取り、これからは父と普通の暮らしをすることになるのです
みんなが出迎えてくれました
みんなで写真をとりました
最後に、一番親しかった伊藤先生が私を同じ目線まで持ち上げて、額と額をくっつけて2人にしか聞こえない声でこう言いました
「お前は強い。だから先生は心配してない。ここでの思い出は一生忘れるんじゃないぞ。たまには遊びに来いよ」
いつまでも心に焼き付いている、強い思い出
いまでも時々思い出し、郷愁に浸ることがあります
そして小学5年生になり、
お台場に引っ越しました
小さい頃に両親が離婚して以来です、新しい母親を紹介されました。夜も更けたころ、私と父が家に帰り、玄関からリビングへ向かいました。リビングは電気が点いていなかった。彼女はリビングのパソコンに向かっていて最初私たちに背を向けていました。パソコンの画面が放つぼんやりした明かりと、パソコンのブーンという動作音だけがする静けさがリビングに漂っていました。私はこれからずっと一緒に生活することになる母親はどんな人だろうという緊張を持っていました。私が近づくと彼女が振り返り、笑顔で挨拶し、「可愛い」と言い、そして私の頭を撫でました。新しい母親に会ったときのことは今でも強く心に残っています。おそろく一生忘れないであろう過去の一つです
家は4階のマンションで、バルコニーからはお台場の海浜公園、第三台場、パレットタウンの観覧車(夜はライトがついて幻想的です)、レインボーブリッジ、その奥には東京タワー、そして正面の東京湾を挟んで向かい側の品川のビル群の間を目をこらしてみるとうっすらと富士山が見えます
そんなところで小学5年から中学の3年の夏前まで過ごしました
夏休みに入ってからは今度は茨城の土浦に引っ越しました
中学3年の夏に引っ越したわけですから、秋の新学期が始まるまでの長い夏休みの期間、慣れない土地で友達もいない、親とは反抗期の時期で仲が悪かったのもあってとても孤独な時期でした
いわゆる引きこもりというやつですね。親は私のご飯を作ってくれないので、親がいないときに自分でご飯を作りました。一日1食かニ食。ニ食の食べるときは、一食目のときにやきそばも余分に作って、それをラップして部屋にとっておき、お腹がすいたら食べていました。すごい孤独でした。親を憎み、友達もいない。話を聞いてくれる人もいない。当時のこの時期が幼少期のターニングポイント(悪く言えばトラウマ)となって、後の性格形成に大きく影響を及ぼしたと自己分析しています
そもそも反抗期で親と険悪の仲だったのにも理由があります。いつくかあったと思いますが、今でも憶えているのは親の高圧的な教育方法です。「子供はこうであるべきだ、あれをしてはならない」(例えば「親に逆らってはならない」「親の言うことは絶対」など)といったふうにガチガチな教育環境でした。おまけに両親とも同じ意見で、当時の私には逃げ道がありませんでした。
私の唯一の救いだったのはPSPゲームの「モンスターハンター(初期の)」、そして引っ越す前に友達がPSPに入れてくれた音楽「HERO」(Mr.Children)でした。早くこの辛い時間が過ぎてなくなれと日中はひたすらゲームをして時間をつぶし、親に怒られたり、孤独で泣きそうになったときは「HERO」をひたすら聴き、ベットで涙を流しながら天井をみつめ続けました
これが私が幼少期に一番辛かった中学3年・夏の時期のことです
転校した土浦の学校で残りの中学生活を送り、高校も土浦の学校に進学しました
中学生活も残りわずか、受験シーズンの直前にあった出来事です。夜6時過ぎ頃、その日もいつものように塾に行こうと夜すっかり暗くなった時間にでかけていきました。家は江戸崎の山の中にあり、そこから山を下って美浦村のほうに自転車で行くのです
山を下るには車が走る舗装された道もありましたが、急いでいたのか、私は近道を選択しました。その道は近道ですが坂が急で、しかも下った先はすぐ突き当たりで右に曲がるようになっています。自転車に乗ったままブレーキをかけながら降りるか、自転車から降りて押して降りるかです
その日も急いでいたのか、暗いのにも関わらず私は自転車に乗ったままその坂道を下っていきました。憶えているのは下ろうとする前までです
その先の記憶ははっきりとは思い出せません。次にぼんやりと意識が戻ったとき、私はコンクリートの冷たさと、全身にずきずきした痛みがあるのを感じ、「ああ、坂で転んだんだな」と自覚しました。そして「家に帰らなくちゃ」と思いました。その後、どうやって自力で家に戻ったのかは憶えていません。ただ次に憶えているのは、家に戻って玄関で仰向けに倒れこんでいるところを母親がびっくりして見ているシーンです。ぼんやりとですが、「家に帰った。これでもう大丈夫だ」と思ったのを憶えています。そして意識を失いました。そのあと私は救急車で運ばれました
家で意識を失ってから、次に気づいたとき、そこは病院のベッドの上でした。カーテンでしきられていて周りの様子は分からなかったのですが、医者と父親の神妙な話し声だけ聞こえました。その後、私は脳神経外科に長期入院したのですが、その間学校の友達がたくさんお見舞いに来てくれてうれしかったです。受験は棒にふっちゃいましたが
入院中に睡眠薬というものも初めて飲みました。あれって本当に眠っちゃうんですね。すごいですよね
さて、高校入学後――
高校一年生のときは、何事にも全力で取り組んで結果もそこそこだったんですが、二年生になる手前くらいから勉強というものに疑問を覚えるようになりました
私はなんのために勉強しているんだろう、大学に行きたいわけでもないのに――
私が将来やりたいことってなんなんだ――
もやもやしている中でも、自分がこれからやりたいことを探していたと思います
成績はだんだんと落ちていき、社交的でもなくなっていったので友達も減りました。遅刻や学校に行かなくなる日も多かったので進級が危ないときもありました
周りは思っていたでしょう。あいつは変わったって
家庭でも一人でいることが多くなり、学校の成績が落ちていくこともあって、親は諦観していました
そのうちお弁当を作ってくれなくなり、お昼になると教室を出て校舎の裏でカップ麺を食べる毎日が続きました
二年生の終わり頃には家庭の状況は中学3年の夏の時の次に最悪で、
夜、学校から家に帰ってきたら家族はもうご飯を食べ終わっていて、私が帰ってくるのを見るとそそくさと部屋に戻りました。私は自分の分のご飯を作って部屋に戻る
お互い、一方がリビングにいるときは部屋にいて故意に顔を合わせないという生活が日常でした
今になって思えばあれが反抗期だったと思います
そしてある喧嘩がきっかけで私は家出をしました
一人で生きていくつもりで、もうこの家には戻らないつもりで家出したのですが、友達の家に居候していることが学校の担任の先生にバレて結局5日くらいで家に戻ってきました
よく喧嘩したら仲良くなる、って言うけど、それはまったく相手と程度によるもので、家族とは表向きは仲良くなりました
でも自分の中ではもうこの家は金輪際ご免だ、って思っていたので、家出してからわずか数ヶ月後、今度はちゃんと双方納得の上に一人暮らしをさせてもらいました
学校の近くにアパートを借りて、「好きなようにやりなさい。そのかわり、学費以外は自分で払い、学校を卒業することが条件です」と親に言われました
在学中はバイトを2つ掛け持ちして、なんとか卒業できた後は、パン屋のアルバイトも始めてしばらくはバイト三昧の生活をおくっていました。早朝にマックのバイトをやって、午後から今度はコンビニで夜遅くまでバイト。イヤホンで音楽を聴いて唄いながら自転車で家に帰る。あくる日はパン屋に行って…。食生活はもっぱらコンビニの廃棄弁当とパン屋でもらった大量のパンが中心でした
毎日大変だったけど、実家にいるときの息苦しさを思うと当時の生活のほうが遥かに自由で幸福と思えました
そんな生活を続けていたある日、親に「東京に住んでみないか?」と言われました
ここでの生活はよかったけど、毎日のバイトに疲れていたこともあって、気分をリフレッシュしたくなり、上京を決意しました
バイトをすべて辞め、上京しました
あれから数年が経ちました
それが今です
東京での生活は楽しいです。今までの実家での生活を思うと…
現在は反抗期もなくなり親とまた仲を取り戻しています
定期的に実家に帰って一緒にご飯を食べて、泊まったりします
あ、実家とは親が住んでる茨城の実家ですよ。おじいちゃんとおばあちゃんがいる和歌山の実家には最近戻りました。一人で。旅の帰り道に寄りました
旧名 syusuke[しゅうすけ]の名前の由来
当サイト『Myus’s memory』でのnameは「Myus」ですが、旧ブログ「私日記」の時に使っていたnameである「syusuke」、これの名前の由来について話します
遡ること中学3年生の砌、
転校した先の中学校で、あるクラスメイトと仲良くなりました
その頃の私はまだいたいけの純粋な少年で、転校先で知り合ったその友達の趣味に没我することになるとは少しも思ってなかったのです
その友達の趣味とは、ずばり言うところの「アニメ」でした
しかもそのアニメのジャンルがいわゆる深夜アニメで、その友達に勧められるがままに観た初めての深夜アニメ、
それがいまでも一番好きなアニメとなったのです
「Myself ; Yourself」
放送期間は2007年10月 – 12月
その当時はそのマイユアにとてもはまってしまって、EDのCDを買ったほどです。のちに友達に借りパクされて今は手元にはないですが・・・
そのマイユアで特に私のお気に入りだったキャラが、主人公の幼馴染の「若月修輔」の双子の姉、「若月朱里」です。朱里というnameでも良かったんですが、しゅうすけにしました
その若月の双子は、今なお私の中で生きているのです
というわけで、syusukeの名前の元ネタは私の好きなアニメ「Myself ; Yourself」のお気に入りのキャラの名前からとっているということでした